礼拝の話

2024/02/05 

1月29日(月) 聖書 マタイによる福音書 22章34~40節 校長 小西二巳夫

本屋さんの入り口付近には話題の本や雑誌が平積みされていて、その中の一つの雑誌の表紙のキャッチコピーが見えました。

「お手軽、カンタン、想い出づくり、・・・」。

お手軽、カンタン、思い出づくり、というワードを私は好きになれません。

それだけに逆に気になり、手に取りページをめくると、手作り料理が出されるレストランや隠れ家的ホテルといったところが紹介されていました。

急に思い立ってどこかに行きたい場合には、こうした雑誌は便利かもしれませんが、そういうお手軽さ、カンタンさを通して得た感動は、お手軽だけにカンタンに忘れてしまうことが多いのです。

そこで思い出したのが、お手軽、カンタンとは全く逆の意味を持つ言葉です。

それは元SⅯAP、今は新しい地図のメンバーの稲垣吾郎が書いた文章の中の言葉です。

稲垣さんは「それでも夜は明ける」というアメリカ映画についてコラムを書いていました。

主人公は奴隷制度があった時代に、自由な生活をすることが認められた、いわゆる自由黒人のバイオリニストですが、一人の白人にだまされて、奴隷として売られます。

映画はその彼がアメリカ南部の黒人に対する激しい差別と暴力に苦しみながらも、人間としての誇りと希望を失わずに生きる姿を描いたものです。

こういう映画には感動した、勇気をもらった、などの感想が多く寄せられます。

けれど稲垣さんはそういう見方とは違う別の視点で次のように書いています。

「私がこの映画を見て感じるのは、今は気づかないけれども、もしかしたら自分たちも、百年後の人たちから見ると、とんでもないことをやっているのかもしれないということです」。

稲垣さんは、私たちが当たり前にしていること、何の疑問も持たないことも、100年後の人たちからすれば、とんでもないことかもしれない、そういう感性を持って生きるべきだと稲垣さんは言っているのです。

この感性はお手軽やカンタンの対極にあります。

これは生き方考え方としては軽くなく、重たくてしんどい生き方です。

しかし、そこに稲垣さんがSMAPと新しい地図で長い間、常に人気を保ちながら活躍できている、そして世間から注目され理由があると思いました。

そこでつくづく思うのは、国の政治もそうであってほしいということです。

どう考えても、この国では住む人の命より目先の利益が優先されがちです。

そこに欠けているのは稲垣吾郎の言う「もしかしたら自分たちも百年後の人たちから見ると、とんでもないことをやっているのかもしれない」との感性です。

人間は不完全な存在です。

その人間がすることには、たとえ一生懸命であっても、必ず間違いや困ったことが起こります。

それが他の人を傷つけたり、希望を奪ったりという形になって表れます。

そして自分を傷つけ、生きる力を奪い、失望や絶望に追い込むことにもなります。それは時代が変わっても同じです。

ですからイエスは不完全な私たちがどのように生きたらいいかを示されると共に、ズレを修正するためのキーワードを示されました。

それが今日の聖書の個所の言葉です。

「主なる神を愛しなさい。自分を愛するように隣人を愛しなさい」です。

神を愛するためには神さまを感じなければなりません。

神がどこにおられるのか探さなければなりません。

神という存在の大きさは誰もが感じることです。

その大きな存在である神を見ようとしたら、目線をあげて遠くを見るように見る必要があります。

それは稲垣さんがいうように100年後の人たちがどのようみに私たちを見ているかという感覚そのものです。

そして隣人を愛するというのは、身近を見ることです。

今自分が生きている現実をしっかり見つめる、誰が私の隣人なのかを考えることです。

その二つの目線を持つことによって、物事を深く考えることができるようになります。

自分を含めた人間の命の重さと大切さを実感できるようになるのです。

それが、今をいきいき生きる、希望を失わないことにつながっていくのです。

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