清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2024/02/07
先週、高校2年生は校外研修旅行に出かけました。
清和で行う研修旅行の大きな目的は、平和学習です。
「平和」。
この言葉、聞き飽きましたか?
わたしは、この「平和」という言葉をいう時、聴くとき、いろいろなことを思います。
1945年に敗戦を迎えた日本は、2025年、来年、「戦後80年」を迎えます。
今年、2024年はそのような意味では「戦後79年」を数えることになりますが、同時に、新しい戦前、そして戦中を迎えた年になることが言われています。
来月には、ロシアのウクライナ侵攻から2年、イスラエルのガザ地区侵攻も4か月が経ちます。
そして、それに伴うさまざまな争い、攻撃への応酬を見ていると、どう考えても、もう第3次世界大戦は始まったのだ、と思わざるを得ません。
この思いが、取り越し苦労であることを願うのですが、なかなか世の中は厳しい現実のように思います。
「戦後80年」と言える日が来るようにと、祈らずにはいられません。
そのようなことを思う度に、本当にこの「平和」という言葉は、多くの悲しみの上にあるものなのだと思わされます。
「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出ていった人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」
この詩編の言葉は、神の救いを待ち望みつつ、先に世を去った者たちの苦難と、この解放の報せを喜ぶ子孫の祈りが歌われています。
神さまは、その一人ひとりに、成功を追い求めなさい、とか、強くいきなさい、とは言っていません。
その小さく、弱い、わたしそのものとして、これからの日々も1つずつ大切に生きなさいと言われます。
わたしたちは一人ひとり、その蒔く種を持っています。
辛い苦しい中でも、神さまにより頼み、その一歩を踏み出す時、かみさまは、わたしたちにはわからない計画をご用意くださっています。
何の実がなるかわからない種でも、自分の人生の中の畑にその一粒を蒔いてみる、育てようと心に決めて進むときに、新たな道が示されるように思います。
高校3年生は、まもなく卒業の時を迎えます。
清和での6年間、3年間の学校生活を通してその存在が、神さまによしとされて集められた一人ひとりとして、ここにいることは確かです。
一人ひとり進み道は異なります。
今まで以上に大きな責任の中で歩むことになるでしょう。
その1つ1つの困難の中で、困ったとき、悩むとき、悲しみの時、また同時に、嬉しい時、喜びの時にも、ぜひ、聖書を開いてみてください。
きっとそこには、その時のみなさんに必要な言葉が示されるはずです。