礼拝の話

2022/10/24 

10月20日(木) 聖書 箴言 15章17節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

秋と言えば、「食欲の秋」です。

今まで何の疑問も持たず「食欲の秋」という言葉を受け入れていたので、今回、その由来についてインターネットで調べてみました。

第一には、秋はたくさんのおいしい食材を楽しめる季節であることです。

暑い夏から、徐々に過ごしやすい気温に落ち着き、夏バテから本来の食欲を取り戻すことができるという説や、寒くなると人間は体温を保持するために、基礎代謝があがるため、失ったエネルギーを取り戻すために食欲がわく、ということも書かれていました。

色々な理由がありますが、とにかく「食」をたのしむことができることが秋の魅力だと思います。

食べるということは生きる楽しみの一つとも言えます。

聖書によれば、人間が初めに造られた時、神はエデンの園にあるすべての木からとって食べなさい、とおっしゃいました。

聖書は食べることの素晴らしさを教えていますが、食べることによって大きな失敗もしてしまいます。

最初の人間、アダムとエバは、エデンの園の中心にある木の実だけは食べてはならない、と神に命じられていましたが、食べてしまいました。

「食べる」ということは本来悪いことではありませんが、「食べる」ことで大切な何かを失ってしまうことがあるのです。

食べることよりも大切なこと、それは「心」だと思います。

この前、実家に行った時に、昔のアルバムを開いてみると、幼稚園児だった頃の私と姉の2人が、誕生日のケーキの前で、真っ暗な顔をして写っていました。

理由は、誕生日ケーキを前にして、私と姉はケーキの大きさで喧嘩をして、母親から叱られた直後に撮られたからでした。

豪華なケーキを前にして、とても暗い顔をしている写真を見て、食べ物よりも心が大事だということが良く分かりました。

コロナ禍になって私が一番、しんどいと思ったのが黙食でした。

人と一緒におしゃべりする喜びが失われ、美味しいものを食べるだけでは生きていくことができないことを感じました。

チャペル礼拝で一緒に見つめている神さまは私たちの心を満たす方です。

神さまに愛されながら、私たちも愛し合いながら、この日を過ごしたいと思います。

交わりを共にしながら、心の栄養が与えられて、健やかに、今年の秋を過ごして生きたいと願っています。

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