礼拝の話

2023/11/06 

10月24日(火) 聖書 フィリピの信徒への手紙 1章9~11節 音楽科 三浦

今週後半から中学3年生は長崎に研修旅行に出かけます。何をしに行くかというと、「平和を考える、平和を学ぶため」に行きます。

わたしたちは日々の生活で、礼拝のメッセージを聞き、授業を通してさまざまなことを考えて過ごします。人間関係の中での葛藤、悩みも学校生活の中での大切な学びだと思っています。

2年前のロシアによるウクライナ侵攻による戦争、そして今またハマスによるイスラエルへの攻撃をもとにした戦争が始まりました。このような時に、キリスト教学校で学ぶこと、平和を考えるということはどういうことなのでしょうか。昨日の沢先生のお話は「かかわらなければ」というものでした。

ご自身がここまで歩まれてきたことについて、さまざまな出会いの中で拓かれてきた思いについて、生きる意味について、人と関わることについて、考えさせられたのではないでしょうか。平和に生きるということは、ただ単純に、戦争がない、ということだけではないことをわたしたちは知っています未来を見つめるためには、過去を学び、過去から学び、現代を、そして、今ある自分の現実をしっかりと受け止めて学ぶ必要があるのだと思わされます。

「なぜ戦争が起こるのか」「どうしたら戦争を止めることができるのか」と聞かれて、わたしたち一人ひとりはどう答えるのでしょうか。この答えを、一生をかけて考えるために、学ぶことはあるのだと思います。答えのない問いに向き合うことは、簡単ではありません。答えが決まっていない問いに向き合う時、わたしたちは、自分自身に向き合うことを求められます。弱さしか見えない自分に、否応なく向き合わされるのが、この「答えのない問いに向き合う」ことだと思います。これはなかなかつらいことでもあるでしょう。

でも、その先にしか、平和な世界は築けないと思うのです。今日の聖書の箇所には「知る力と見抜く力とを身に付けて」とあります。わたしたちは多くのことを学び、多くのことを考える中で、これらの力を身に付けていくのでしょう。つらい、苦しい過去の現実を、歴史の歩みを見つめる中で、わたしたちは将来への希望を抱くことが求められるのだと思います。今を生きるということは、将来に責任があるということです。楽しいだけの人生はあり得ません。

関わることで、幸も不幸も体験することを昨日、わたしたちは聞きましたし、また実際にそのように歩んでいます。その中で、つらい、苦しい中で、それでも希望を見出すことができる人になることが求められているのだと思います。今日1日もしっかりと学び、自ら希望を抱くことができる私たち一人ひとりでありたいと思います。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ