礼拝の話

2023/11/06 

10月25日(水) 聖書 ヨハネによる福音書 15章1~5節 日本キリスト教団 高知教会 松浦子基牧師

私は小学校に入学してすぐに肺炎かかり1カ月間、病院に入院したことがありました。

一緒に入学したお友だちと、離れ離れになってしまったことがとてもショックでした。

なかなか症状が良くならない状況が続いたときに、どうして自分だけこんなつらい思いをしなければいけないのかと、とても暗い気持ちになってしまいました。

一カ月後、病気が治った私は、いつも通りの生活に戻り、学校でクラスメートと一緒に勉強したり、校庭で思いっきり遊んだりすることが出来るようになりましたが、入院した時の「死んだらどうなるのだろう、どこへ行くのだろう」という心配はずっとありました。

そこで思い切って教会学校の先生に聞いてみると、教会の先生は今朝の聖書の箇所のお話をしてくれました。

ここでイエスさまはご自身をぶどうの木、私たち人間をその枝であるとたとえられました。

そして、この植物であるぶどうを育ててくれる農夫こそ、父なる神さまであると言われました。

ぶどうという植物は、人の手によってきちんと管理して育てなければいけません。

長い時間をかけて、丁寧に育てなければいけない植物ですが、このように愛情をかけてこそ、おいしいぶどうが実るのです。

今日の個所は、そのように神がさまざまな形で、枝である人間に関わっている、愛を持って臨んでくださっている、働いてくださっていることを、イエスが証言している個所です。

イエスさまは私たちに決して一人ではない、いつも私が共にいると語りかけてくださっています。

小学生だった私は、病気にかかったことで、自分は一人ぼっちだと思っていました。

自分を本当の意味で理解してくれる人など誰もいないとあきらめていました。

ですがこの聖書の言葉を通して、イエスさまはこの私という存在と一緒にいてくださる方であるという事を知りました。

神さまは農夫として、私たち一人ひとりを愛して下さり、立派なぶどうの実がつくようにと、育ててくださるお方です。

なによりもイエスさまの方から私たちとつながってくださって、いつも共にいてくださるという事を示してくださいました。

今日の一日もまたこの神さまの愛、イエスさまの支えに感謝して一日を過ごしたいと思います。

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