礼拝の話

2023/11/08 

10月27日(金) 聖書 ヘブライ人への手紙 1章19~20節 数学科 岡村

私は車で学校に来ます。通勤コースは習慣で選んだ道をなんとなく使っていました。

日々おこなっていることでもそのように習慣化されて「気が付けば」ということはよくあります。このように習慣的におこなうことをルーティンワークとも呼びます。

「ルーティン」という言葉から思い浮かぶのが前回のラグビーワールドカップのジャパン代表五郎丸選手のゴールキックを蹴るときの一連の動作です。キッカーはゲームの勝ち負けを左右するような場面で蹴ることが多いです。その精神的重圧は並大抵ではないはずです。

そこで平常心でボールを蹴るためにルーティンをおこなうわけです。平常心は本来仏教用語です。

決められた日課を大切に習慣になるまでおこなっていると精神力が強くなり、感情の波に流されるのを防ぐことができるようになります。ルーティンがたくさんありその大切さを学ぶのが学校です。ルーティンの語源はルートつまり道を表します。

「いつも通る決まった道」という意味から「決まりきった」という意味にもつながります。なるほどと思いました。

そのルートの語源にはラテン語で「引き裂く」「切り開く」という意味があります。そうなると雰囲気が変わります。昔、道がなかった時代に毎日毎日同じところをたくさんの人が歩いていく中である日気がつくと大地を切り開くように道が開かれていく情景が目に浮かびます。清和には他の学校にはないルーティンワークがあります。

毎朝の全校礼拝です。礼拝には様々な決まりごとがあります。それは、毎朝おこないます。カットしたり、短縮することはありません。司会者の「今から礼拝を始めます。黙とうをしてください」と決まった言葉から始まり、決まった順番で讃美歌を歌い、聖書を読んで話を聴きます。お話の長さもほぼ同じです。

話をする人は事前に完全原稿を提出します。これが毎日繰り返されます。清和は授業を中心としたルーティンに加えて、内面的な働きかけをする礼拝などのルーティンも続けることによって、ルーティンの語源からつながっている「人生の道を拓き(ひらき)、自身の人生と社会をしなやかに生き抜く力を持つ人になれると信じます。

清和に務めるようになって私にも新たなルーティンワークが加わりました。帰りの礼拝での「帰りの道もお守りください」というお祈りを聴くと心が落ち着くようになり、日々の帰りの車の中で祈ることが新しくルーティンワークに加わりました。祈りは神との対話です。

それによってこれからも私の生きる道が示され開かれていくと信じ、今日の帰りも車の中で祈りたいと思います。

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