礼拝の話

2023/11/08 

10月30日(月) 聖書 使徒言行録 9章1~7節 校長 小西二巳夫

NHKの歌番組の中で「ひょっこりひょうたん島」の主題歌が歌われていました。「ひょっこりひょうたん島」は60年近く前にテレビで放映されていた人形劇です。

登場人物の一人にドン・ガバチョというインチキ外国語を操る政治家がいました。私が通った高校にはドン・ガバチョに風貌がよく似た先生がいました。先生はドン・ガバチョと同じように、外国語を操る、つまり英語の先生でした。それもあって、先生を私たちの学年はガバチョと呼んでいました。

私がガバチョの授業を受けたのは高校1年生の1年間だけでしたが、私はガバチョの授業を不思議と覚えています。私とガバチョの関係は高校の時だけで、卒業後に会ったのは2回だけです。

1回目は私がフランスに留学する前に、同級生の一人と会うことになった喫茶店に、彼が卒業後も親しくしていたガバチョを呼んでくれた時です。2回目はそれから3年後、ガバチョの言う通り語学力のない私はフランスをあきらめ、もう一度日本の大学を受験しようとした時です。

受験に高校の調査書が必要だったので、発行依頼の連絡をして1週間後に受け取りに行った時、事務室にガバチョがいたのです。

ガバチョは私が大学受験のための調査書をもらいに行くのを知って、そして自分が卒業した大学を英語が苦手な私が受けることを知って、偶然ではなく、アドバイスをするためにわざわざ待っていてくれたのです。

それから40数年後、ガバチョが亡くなるまで会うことはありませんでした。授業中の様子や、やりたいことをやるには年齢は関係ない、遅いということはないとの言葉など、ガバチョが何かの折にふっと思い浮かぶことがあります。

今日の聖書にはパウロという人が出てきます。彼はイエス・キリストを信じる人たちを捕まえることに人生をかけていました。そのパウロがある日、思いがけない形でイエス・キリストに出会います。それを境に今度はイエス・キリストこそ救い主との立場に立って活動をし始めます。

パウロがイエス・キリストに出会ったのは、偶然だったのかどうかです。パウロはイエス・キリストに人生をかけた人を、暴力的に捕まえ罰することを繰り返す中で、自分はこれでいいのだろうかとの疑問も持つこともあったはずです。彼は、自分のしていることを見直すチャンスを探していたのかもしれません。その自分に答えを与えてくれる存在との出会いを願っていたのです。

そのパウロの願いが、雷に打たれて一時的に目が見えなくなるという劇的な出会いになったのだと思います。しかもパウロがイエス・キリストに出会ったのはその1回限りです。自分が真剣に考えていること、苦しんだり悩んだりしていること、心から願っていることに対する、働きかけや答えが、出会いを通して、それぞれに起こるのです。

さらにいえることがあります。それは必要な出会いや答えは後から与えられるとは限らないのです。自分が悩んだり考えたりする前に、すでに与えられているかもしれないのです。与えられているけれど、気づかずに過ごしている場合もあるのです。そうすると、今日という一日をどのように過ごすのかということが、いかに意味があるかがわかってきます。

それでは今日一日を、そして新しい1週間を真正面から歩んでいきましょう。

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