礼拝の話

2022/10/31 

10月31日(月) 聖書 詩編 18編17~18節 校長 小西二巳夫

青色と黄色の絵の具を混ぜると平和の象徴である緑色になります。

私が青色と黄色そして平和の緑色から思い浮かべるのが「さかなクン」です。

さかなクンのトレードマークは青色と黄色のハコフグという魚をデザインしたキャップ、被り物です。

さかなクンの話し方や人との接し方、コミュニケーションの取り方は、相手や周りの人を幸せな気持ち、平和にさせてくれます。

さかなクンの描く魚のイラストを見ていると、思わずニコッとしてしまいます。

私はいつの頃からか、さかなクンに一種の憧れを持つようになりました。

さかなクンが才能をどんどん開花させていったのは母親の存在があったからです。

さかなクンが好きになったものをお母さんも大切にしてくれました。

最初に好きになって書くようになった絵はゴミ収集車でしたが、さかなクンに別の絵を描いたらとはいいませんでした。

ゴミ収集車の絵が生き生きするように収集車が何十台も並ぶ場所に連れて行ったり、タコが好きになったさかなクンを毎週のように水族館に連れて行ったりしてくれました。

毎晩のように魚料理を作ってくれましたが、さかなクンのお母さんは魚が苦手でした。

自分の好き嫌いを超えて、息子の成長を願って魚料理を作る母、いい意味で大人だと思いました。

高校時代にバスクラリネットの音色のすばらしさを聴かせてくれようとしたさかなクンに、この時のために貯めてきたと47万円のバスクラリネットを買ってくれました。

だからといって、何でも聞いてくれる甘い母親ということではありませんでした。

さかなクンの人格や言葉、そしてコミュニケーションの取り方にそっと手を貸しながら、その一方でさかなクンが自分でしっかり考えることを求めました。

専門学校を出て魚関係の職場で働くもうまくいかず、ようやく熱帯魚屋さんの正社員なることが決まった時、さかなクンは、自分はこのままでいいのかと悩みを母に相談をします。

その時の答えは「やりたいことがあるなら、自分で探せばいい」でした。

さかなクンの気持ちを否定していませんが、同時に自分が何をしたいのか、何ができるのか、それは自分で考えて決めなさいというわけです。

言うなれば、母はさかなクンを子ども扱いせず、大人扱いしたのです。

早く大人になるように求めたのです。

大人と子どもの違いは年齢だけで決まるものではありません。

一番わかりやすいのが、寛容さを持った人になっているかいないかです。

それに気がついた時に、私がさかなクンの何に憧れたかがわかりました。

さかなクンがあふれるばかりの寛容さを持った人だということに気がついたのです。

寛容とは、自分の気持ちや状況の変化に左右されることなく、物事を解決するための、そして人間関係を壊さず作っていくために不可欠な感覚です。

どんな場合にも、相手の存在や言葉や行動にリスペクトできることです。

寛容は自分の考えや意見を相手に押し付けることからは持てない感覚センスです。

だからそれができない人を「子どもっぽい」というのです。

私自身、しばしば寛容さを失っている自分にハッとさせられることがあります。

それにもかかわらず、その自分が大いなる神さまに赦されている、イエス・キリストの十字架によって赦されていると、聖書に記されています。

十字架に架けられたイエスの絵には茨の冠が被せられています。

これによって神様の人間に対する最大の寛容さが表現されているのです。

そこで私はフッと思うのです。

イエスには茨の冠だけでなく青と黄色のハコフグの被り物も絶対に似合うはずだと。

私は毎日の生活の中で、青色と黄色のハコフグの被り物をかぶったイエスを思い浮かべることによって、寛容さを持った人を目ざしたいと心から願っています。

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