礼拝の話

2021/10/06 

10月6日(水)聖書 マタイによる福音書 26章26~30節 日本キリスト教団 土佐教会 髙橋伸明伝道師

〈2021年度後期は日本基督教団土佐教会の高橋伸明伝道師に担当していただきます〉

 

私が感銘を受けている詩に漫画家やなせたかしさんの『アンパンマンのマーチ』があります。

メロディにのって歌っている時には気づかなかったのですが、普通に読み返してみると、すごいことを言っています。

アンパンマンのモデルは、イエス・キリストです。

キリストは、生前、多くの人を愛しましたが、どちらかと言えば、体の弱い人、いじめられている人、社会や集団からはじき出されているような人を特に愛しました。

医者がさじを投げたような病人をもっぱら癒し、命を狙う人々から弟子たちを守り、弟子たちを愛されました。

さらに、自分を殺そうとする人々をも赦しながら、死んでいきました。

一言で言えば、損な人生のように見えます。

そこまで、人に自分の持っているもの、できることを、自分以外の人のためにささげきった人はいませんでした。

だからこそ彼は「神の子」と呼ばれたわけです。

アンパンマンは、そんなキリストが原型(モデル)のひとつになっています。

アンパンマンの原作の漫画では、アンパンマンはもっぱら、困った人や、悩んでいる人、泣いている人がいると、自分の顔をちぎって差し出します。

「さあ、ぼくの顔をお食べ」。

それは、弱っている人、困っている人を見たら、自分を犠牲にしてでも助けようとしたキリストと同じ生き方です。

今朝、読んでいただいた聖書の箇所は、イエスが自分の死を覚悟して、弟子たちとお別れの食事をする場面です。

「取って食べなさい。これはわたしの体である」。

この言葉は、キリスト教の教会では、「聖餐式」という儀式に引き継がれています。

キリストのことを思い起こす食事として、パンとぶどう酒(またはぶどうジュース)を食す儀式が教会にはありますが、パンを食べる時に、この聖書の言葉を読みます。

「取って食べなよ。これはぼくの体だよ」。

これがアンパンマンのこころです。

自己中心的で自分のためにしか動けないような人は、世の中で必要としてもらえるはずがありません。

人を愛し、人のために生きる姿勢がない人は、誰からも求められなくなり、さみしくなり、そんな状態では、自分自身だって本当に生きる喜びなんか味わえるはずがありません。

自分以外の人のために自分自身をささげることこそが、生きている意味を感じさせてくれることだということを、アンパンマンはとってもわかりやすく教えてくれているのです。

アンパンマンのこころを胸に、今与えられたこの長いようで短い学生時代のうちに、しっかりと中身を蓄えていっていただきたいと思います。

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