礼拝の話

2019/10/09 

10月8日(火)聖書:ガラテヤの信徒への手紙 6章2~5節 国語科 古口

人は誰でも心に荷物を持っています。心の荷物には、どうしても持ち続けなければならないものもあります。たとえば、家族関係の痛み、人間関係の悩み、健康に関する弱さ、勉強に関するしんどさ、性格に関する悩みなど。「重荷」はそんな私たちの「弱点」や「弱さ」と言い換えられます。聖書には「弱さを克服しなさい」とか「強くなりなさい」とは書かれていません。「弱さを担いなさい」、つまり「弱さを弱さのまま持っていなさい」と書かれています。

自分の弱さと向き合うことは楽なことではありません。自分として生きていく限り、そのチャレンジは一生続きます。みなさんはそのスタートを清和で切るようにと、そのやり方を清和で学ぶようにと、選ばれてここにいるのだと思います。

中高生のみなさんの荷物を全部持ってくれる大人が、やさしい大人かというと、そうとは言えないと私は思います。みなさんはいずれ自分の荷物を自分で持たなければならないからです。持ってもらっているときは楽ができますが、その荷物を自分で持たないといけなくなったとき、その重さに押しつぶされてしまったのでは意味がありません。

自分の弱さについて考えるとき、自分が立派な人間でないことがよく分かります。私にも重荷があります。私にも弱さがあります。みなさんに対して誇れることはありません。人の荷物を全部持ってあげられるような、鍛え上げられた人間ではありません。私もチャレンジの途中にいるのです。でもみなさんより少し早くスタートを切り、荷物の持ち方を学び、休み方を学んできたので、自分で持つことのできる荷物の量が増えました。自分の荷物に手を添えて支えてくれる人がいることに気付き、感謝できるようになりました。そして誰かの荷物を少し手伝えるような人になりたいと思えるようになりました。

立派な人間だから人の荷物を担えるのではありません。自分も弱さという荷物を持っているから、互いに担い合う必要があることに気づくことができるのです。

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