礼拝の話

2023/11/24 

11月10日(金) 聖書 フィリピの信徒への手紙 1章9~10節 社会科 藤村

昔住んでいたアパートの近くに、Titleというこじんまりした本屋さんがありました。

ふらっと立ち寄って本の背表紙を眺めるうちに、その時に必要な知識や、関心があるジャンルの本棚に吸い寄せられるような感覚を覚え、そうして過ごす時間が気に入っていました。

本棚を巡っていると、時々どの本屋さんに行っても必ず目に留まる本が現れます。

まるで「私を読め」と本が語りかけてくるような気がしたり、他に読みたい本もある、けれど読まなければいけない気がすると思ったり、ということがあります。

かつてそんなふうにして出会い、読んだ本が、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』です。

随分前に読んだのですが、今年新訳版が出ているのを知り、もう一度読んでみました。

『愛するということ』は、「こうすれば好かれる」「愛される」といったハウツー本ではなく、「愛する」という技術を、哲学的・心理学的に考察した本です。

心理学者の著者であるフロムによると、愛は次の4つの要素から構成されると言います。

配慮、責任、尊重、そして知です。

配慮は、愛する者の命と成長を積極的に気にかけること。

責任は、英語にするとresponsibilityで、相手が何かを訴え求めてきた時に、responseつまり応答すること。

尊重は、その人らしく成長していくように気遣うこと。

知は、知識の知で、相手の立場に立ってその人を見ること。

このように、愛とは能動的な技術だと読み直した時に、今日の聖書箇所が思い浮かびました。

この箇所の前後を読むと、これは、祈りの中の言葉であることが分かります。

いろいろな先生方が礼拝で話されるように、祈りは、自分自身のためだけではなく、近しい人や遠く離れた人に対しても行われます。

この箇所の祈りは、イエスキリストの弟子たちから、時代を超えて現代の私たちにも届いたものです。

毎日の帰りの礼拝でも、その日の当番の生徒がお祈りをしてくれますが、その日一日頑張ったことを振り返り、明日に目を向けながら、自分だけでなくお互いのことを思い合う時間になっていて、ほっとするひと時です。

そのように誰かのことを思って祈ることも、「愛するということ」の表れで、自分自身の存在が尊重されているからこそ、誰かを思うことができるのだと思います。

今朝の聖書にある、知る力と見抜く力は、学ぶこととして考えることができると思います。

学ぶということは、学校での勉強が全てではなく、卒業した後も続きます。

学ぶことで、目隠しのような覆いを取り払い、自分自身の価値を再確認した人々は、周囲の人に向けて十分に愛を伝えられるのだと思います。

2学期の後半の学校生活も、全てのことから謙虚に学び、愛をもって接することを通して、「本当に重要なことを見分けられるように」、1日1日を大切にしていきたいです。

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