礼拝の話

2021/11/15 

11月15日(月)聖書 詩編 90編17節 音楽科 三浦

高知市のグランド通、第六小学校近くに、平和資料館・草の家というところがあります。

先日、中学3年生の研修旅行では、この平和資料館・草の家を訪ねました。

お話をしてくださった方は84歳で、実際の戦中を生きてこられた方です。

高知市は1945年7月に高知大空襲というものを体験しています。

当時、小学2年生だったこの方は、空襲警報と共に、お母さま、お姉さまと防空壕に逃げましたが、その狭さと暑さで防空壕を飛び出したと言います。

そして、アメリカ軍のB29からの空襲を受けました。

木造家屋が多い日本では、焼夷弾という火の筒のようなものを爆撃機から投下し、家々を燃やし尽くし、高知市内は大切な人の命も、大切な品物もすべてが燃やし尽くされ、何もない原野だけが残ったと言います。

お話の後半では、紙芝居を使って、ご自身の経験をお話くださいましたが、この方自身、60歳で務めていたお仕事を定年されるまで、このような話をすることはできなかったと言います。

人が数十年もの間、口にできないで抱えている思い、そのような思いをさせ続ける戦争の恐ろしさ、愚かさを感じました。

私たちは、普段生活をしていると「戦争」というものが本当に遠くの出来事のように感じてしまいます。

でも、よくよく考えてみると「戦争」というものは、私たちの日常のちょっとしたことから始まるように思います。

国と国との争いだから、私たちには遠い話、と無関心でいることが「戦争」そのものを引き寄せてしまうように感じました。

私たちに求められているものは、世の中の出来事に関心を持ち、正しい情報を正しく受けとめる力ではないでしょうか。

そのためにも、いろいろな本を読んだり、新聞を読んだり、自分とは関係ないかも、と思う事柄にも興味を持つことが必要なのではないでしょうか。

平和、というものは、私たちが求め続けなければ、続いていかないものなのだと思います。

穏やかな日常、穏やかな雰囲気、そういうものは作り続けなければ作り出されないものなのだと思います。

草の家の創始者の方が作ったある詩の最後には、このように小さく書き添えられていました。

 “主よどうかすべての人のしあわせのために一粒の麦とならせてください”

私たち一人ひとりは決して大きなもの、強いものではありません。

でも、平和を紡ぎ出す者として、小さい何かを積み重ねていくことができれば、それはきっといつの日か大きな希望を私たちに与えてくれるのではないかと思わされました。

今日という1日をしっかりと歩み、この1週間をしっかりと送りたいと思います。

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