礼拝の話

2023/11/30 

11月21日(火) 聖書 マタイによる福音書 6章6~8節 社会科 山脇

「春眠暁を覚えず」という言葉があります。

これは、春は気候が良く、ぐっすり眠れるので夜が明けたのに気づかず、寝過ごしてしまうことを表します。

ただ、私は季節に限らず、眠れないということはありません。

むしろ、いつでも眠れてしまうのが特技なのかもしれません。

授業中、皆さんも眠たくなることは良くあることかもしれません。

高校時代、同じ野球部に所属していたクラスメイトが、必死に睡魔と戦っている場面を思い出します。

秋も深まった、ちょうど今くらいの時期、もうすぐ放課となる6時間目の授業。

そのクラスメイトが窓際でウトウトしながら、必死に起きていようと頑張っていました。

今にも寝てしまいそうな彼の目は、まぶたが完全に閉じる直前で、夕日に照らされた彼の表情は、まるで仏のような神々しさがありました。

奈良の大仏など仏様の目は、閉じるか閉じないかの瀬戸際くらいの目をしています。

それは、閉じるか閉じないかの絶妙な状態が、「無心」であるからだと言われています。

無心は悟りを開いた状態を表すといいますので、仏はおおむね「半目」のものが多いといわれています。

毎朝の礼拝では、最初と最後に黙祷の時間があります。

黙祷の時間は何だか瞑想の時間と似ていますが、文字通り、黙って祈るのが黙祷ですので、瞑想とは全く違います。

黙祷は瞑想とは違い、一人で神に祈る時間です。

目を閉じるだけでなく、心を神に向けて今日一日の歩みのうえに神の導きがあることを祈る、そのような大事な時間です。

チャペルでのお祈り、帰りのホームルームでのお祈り、そこには周りの人もいますが、一人ひとりが神と対面する、そのような時間です。

目を閉じて心を落ち着かせ、神と対話する、それが黙祷も含めたお祈りの時間です。

お祈りは心を無にすることではなく、むしろ心に思うことを素直に打ち明けることと言えます。

今日の聖書箇所には、イエス・キリストが弟子たちに祈りを教えている場面が描かれています。

イエスは、祈る時には人に見てもらおうとするのではなく、隠れた所におられる神にただ一人向き合い、祈ることを薦めています。

神さまは私たちが願う前から、私たちに必要なものをご存じである、と聖書は言います。

私たちが祈る時、すでにその祈りは神が知っていてくださり、その祈りを受けとめてくれるということを聖書は約束してくれています。

私たちがお祈りをする時点で、神は私たちの祈りの言葉を知ったうえで受けとめ、その祈りをすでに実現してくださっているのかもしれません。

今日も学校生活は黙祷とお祈りによって始まり、帰りのホームルームのお祈りで終わります。

朝、一人ひとりが今日の学校生活の歩みについて、自分の思うことを神に祈りましょう。

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