清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2023/11/30
私が通っていた神学校の一つ上の先輩に両目が見えない全盲の先輩がいました。
その方はわたしたち寮生一人ひとりの声色や歩き方の癖などを瞬時に聞き分けて、コミュニケーションをとっていました。
最終学年の時には盲導犬と共に暮らしてようになり、今は北海道の教会で牧師先生として働いています。
今日の聖書の個所にも盲人の方が登場します。
イエス様と弟子たちがエルサレムに向かう立ち寄ったエリコという町での出来事です。
目が見えないバルティマイはエリコの城壁の外で物乞いをしていました。
ユダヤ教には信仰の3本柱があります。
それは祈りと断食、そして施しをすることでした。
そして障がいを持った人たちは、その施しによって生活していたのです。
いつものようにしていたバルティマイに「イエスがやってきた」という声が聞こえました。
バルティマイはイエスさまがユダヤの町や村で、病人を癒される不思議なお方だと伝え聞いていたので、大きな声で叫びだしました。
「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と。
ダビデという名は、ユダヤで最も尊敬されているダビデ王のことです。
彼はイエスさまに敬意を示して、そのように呼びました。
彼はイエス様に向かって「憐れんでください」と叫びました。
バルティマイは、目が見えない以上に苦しんでいたことがありました。
それは、周りの人々から、盲人であるために罪人だと思われていたことです。
律法によって障がいを持っていた彼は、救いの外に置かれており、また社会からのけ者とされていたのです。
バルティマイは、生まれつきの盲人ではなく、何らかの事故か病気によって目が見えなくなった人だったので、目が見えるようになることで社会復帰がしたい、元の生活がしたい、そのためには何としてでも見えるようにしてもらいたいとと思っていたのです。
彼の必死が周囲の空気を変え、当然イエスさまにも伝わります。
イエスさまはバルティマイに「何をしてほしいのかと」言われました。
彼はイエスさまに「目が見えるようになりたいです」と答えました。
イエスさまは「あなたの信仰があなたを救った」と言われると、たちまちバルティマイの目は見えるようになり、彼はその後すぐにイエスさまに従い、長年物乞いとして過ごしたこのエリコの町をイエスさまと共に出発したのです。
その後の彼の人生は聖書に詳しく書かれていませんから、わかりませんが、他の弟子たちがイエスさまの十字架の死と復活を体験することを通して、人生を生き抜いたように、彼もまたイエスさまの教えを生きて、イエスさまの救いを宣べ伝えた一人となったのです。
イエスさまの「行きなさい」という言葉は私たちにも語られています。
こうして、この聖書の御言葉を通して、私たちは今日一日を生きる力を与えられて歩むことが出来るのです。