清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/12/01
11月22日から始まった人権ウィークも今日で最終日です。
「人権」とは「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」あるいは「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持つ権利」とあります。
堅苦しい感じに聞こえるかもしれませんが、私たちが人として幸せに生きるための権利で、生まれながらにすべての人に等しく備わった権利です。
12月10日は「人権デー」とされ、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として「世界人権宣言」が国連で採択された日です。
世界人権宣言は、基本的人権尊重の原則を定めたものであり、初めて人権保障の目標、基準を国際的にうたった画期的なものでした。
日本では1949年からの73年間、人権デーを最終日とした1週間を「人権週間」と定めています。
人権ウィークの1日目は「普通」や「当たり前」は時代とともに移り変わるけれど、「互いに愛し合う」という根本は変わらないということを、2日目は黒人差別の問題を通して、勇気を出して立ち上がることを、3日目は手に障がいをもっている女の子を通して、一人ひとりがかけがえのない特別な存在であるということを、4日目はインターネット上の人権侵害の問題を通し、誠実な言葉や行動についてを、5日目は民主主義の社会を通して、慎ましいという感性の大切さを学びました。
「人権ウィーク」として話を聞くのは今日で最後ですが、この人権ウィークの間に聞いたお話しは、すべて特別なものだったでしょうか。
人権問題や人権課題を用いて話をしていましたが、毎朝このチャペルで聞いている話と大きく変わる点はあったでしょうか。
私たちは、毎朝このチャペルで朝の礼拝をおこなっています。
そのお話の中で、人権に関わりのないお話は何一つないと思います。
それは、イエスキリストが誰よりも、自ら人権の尊重を実践していたからではないでしょうか。
今日の聖書箇所は「善いサマリア人」という表題がつき、テーマは「隣人愛」であると思います。
なぜこのたとえ話をイエスが語ったのかというと、ユダヤ人の律法学者が「隣人とは誰ですか」という問いを、イエスに投げかけたからでした。
律法学者は、細かいルールや決まりを定め、「隣人」を規定していましたが、そこには「自分たちと同じ民族の人」という縛りのようなものがあったのではないかと思います。
私たちにも同じようなことが言えるのではないでしょうか。
隣人というのは「自分と似ている人」「仲のいい人」自分から見て「普通の人」、そのような人たちに限定されるものではないのだと思います。
人権は「すべての人に、等しく与えられているもの」です。
性別や国籍、年齢、職業、心や体の状態などを超えてすべての人に与えられています。
そこに例外はありません。
だからこそ、私たちの隣人もまた、同じように、限定してはならないのだと思います。
この隣人愛こそ、人権に通じる考えではないでしょうか。
みなさんは毎朝の礼拝を通して、これらのお話を聞いています。
それは、毎朝の礼拝を通して、日々「人権」について触れているということです。
そして、自分が生きていること、誰かとコミュニケーションをとること、学校生活のすべてに、日々の歩みのすべての中に「人権」はあります。
言わば、毎日が「人権デー」なのです。
人権ウィークは今日で終わります。
しかし、人権を身近に捉え、今日の聖書箇所である「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい。」という聖書の言葉を大切に歩んでいくことこそ、自分の人権と他者の人権を尊重することなのではないでしょうか。