礼拝の話

2023/11/14 

11月6日(月) 聖書 創世記 4章8~12節 校長 小西二巳夫

高知出身の作家、有川ひろさんの作品に「阪急電車」があります。

私がこの小説に親しみを感じるのは、阪急沿線に私の家族が住んでいて、キリスト教の学校や教会もいくつもあるからです。

西宮市には、神呪町という場所があります。

「かんのう」は神さまの「神」に口へんに兄と書いて「かんのう」です。

この口へんに兄と書く漢字ですが、送り仮名「う」をつけると、「のろう」と読みます。

そうすると、神呪町は神さまを呪う町となります。

一瞬ギョッとなる地名です。

呪うという言葉は「恨みのある人などに悪いことが起こるように、神さまや仏様に祈る」という意味を持っているからです。

でも、調べてみると、呪うは悪いことが起こるだけでなく、良いことが起こるように祈るとの意味もあるとのことです。

良いことが起こるように呪う、それを別の言葉にすると「祝う」です。

つまり呪うと祝うは漢字的にも意味的にも紙一重、ほとんど変わらないと言えます。

そこに違いがあるとしたら、呪おうとしている人と祝おうとしている人の違いです。

表情や態度、言葉遣いの違いです。

ふてくされた態度、嫌な表情、乱暴な言葉遣いや口調、何か暗いもの、闇を抱えながら生きている人です。

あまり関わりたくないのが、呪う空気を出している人です。

反対に、他の人を祝おうとしている人は表情がいいはずです。

言葉遣いや態度も優しさが感じられます。

呪うと祝うは紙一重ですから、人はちょっとしたことで変われる可能性があるのです。

今日の聖書は兄カインが弟アベルを殺すという、実にバイオレンスな物語です。

なぜカインがアベルを殺したのか、それはカインが自分の存在が生きるに値しない、価値がないと思ったからです。

神は弟アベルを殺したカインに呪われた生き方をしなければならないと宣告されます。

そこに来てようやく、自分のした事の重大さに気づいたカインに対して、神は手を差し伸べられます。

それは誰か他の人がカインを傷つけたり、命を奪ったりしたなら、その人はもちろんすべての子孫をゆるしてはおかないと言うことでした。

カインとアベルの物語は、イエスの登場によって、映画でいうならクライマックスとエンディングを迎えます。

イエスがこの世界にやってきた目的は、そして神がイエスをこの世界に送り出した目的は一つです。

それは世の中がいくら憎らしく思えても、自分にいいものを与えてくれないと嘆いている人にも、この世界が生きるに値する場所であることを教えるためです。

今の自分を考えると、そして世の中に起こっていることを考えると、この世界は自分が生きるに値しない場所だと思ってしまいがちです。

けれど、イエスは自らの命をかけて、一人ひとりに、それでもなおこの世界が生きるに価値ある場所であることを教えられたのです。

そのことをしっかり受けとめることのできる自分でありたいと心から願います。

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