清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/12/13
今日2021年12月8日は、日本の第二次世界大戦参戦開始から数えて80年目の節目の日です。
1941年12月7日(日本時間では8日)、アメリカハワイ州ホノルルの真珠湾への攻撃によって太平洋(大東亜)戦争、日本の第二次世界大戦への参戦が始まりました。
清和学園は1901年に高知女学会という名前で学校が創立され、1936年に清和女学校と名称を変更しています。
1941年当時、高知市の鷹匠町にあった清和女学校は、1944年に移転を余儀なくされ、本町にある日本基督教団高知教会を間借りして授業を行うことになりました。
記録によると、教会の「三階両側のギャラリーを仕切りなしの教室」として使用していたそうです。
不自由な学校運営を強いられた陰には「戦時下キリスト教主義を貫くことに対する迫害」が、「容赦なくさまざまの形で加えられていた」現実がありました。
戦争の激化が及ぼす災禍によって、みなさんのような若い人たちの学びと命が軽んじられていたこと、そして平和の大切さと尊さが蔑ろにされていたことを私たちは決して忘れてはいけないと思うのです。
アッシジのフランシスコの「平和の祈り」(フランシスコの祈り)というものがあります。
「わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。」という有名な言葉から始まる祈りですが、この祈りの精神そのものを生きたと言われるアッシジのフランシスコは、今から800年ほど前のイタリアの人でカトリックの「フランシスコ会」という修道会を創った人です。
もともと金持ちの道楽息子で、騎士になることを夢見て十字軍に参加して、血みどろの地獄を見ました。
彼が参加したのは1202年の第4回十字軍でした。
同じイタリア人同士の戦闘で修羅場を経験し、捕虜になり、釈放されたと思ったら、今度は病気になって再び死にかけ、そして神の声を聞いて悟り、やっとたどり着いたのが「平和の祈り」の言葉でした。
彼は、一切の財産を捨てて、貧しい人に与え、自分自身も貧しい生活をしながら、当時の乱れた教会を建て直したり、改善したりしていきました。
そして、やがて同志が集まり、フランシスコ会が創立されてゆきます。
「わたしを平和の道具にしてください。…慰められるより慰めることを。理解されるよりも理解することを。愛されるより愛することを」と祈った人物は、きれいごとの言葉を並べて自分に酔っていた非現実的な人間ではなくて、利権争いの戦争に巻き込まれて傷ついた一人の兵士でした。
戦争の悲惨な現実を知った人だからこそ、本当の平和のありがたさ、平和を造ること、人を愛することの大事さを身にしみて感じたのかもしれません。
私たち一人ひとりが「理解されることより理解することを心掛け、愛されることよりも愛することを実践する」という方法で、自分を平和の道具にすることができるようにと願って止みません。