礼拝の話

2024/02/16 

2月15日(木) 聖書 使徒言行録 4章32節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

この前、「きっと、うまくいく」というインド映画を観ました。

あまり楽観主義は好きではないので、タイトルを見て、全然期待せずに視聴しましたが、とてもいい映画でした。

この話は、実際のインドの社会が背景になっているそうです。

インドでは、勉強や受験の競争社会で心が病む若者が後を絶ちません。

コメディ要素が多い映画ですが、そのような社会問題に対するメッセージ性が込められているのです。

最近、SDGsという言葉が広く認知されておりますが、その取り組みの中で「共創社会」という言葉が使われるようになりました。

競い争うという「競争社会」ではなく、共に創る・創造するという「共創社会」です。

自分たちだけでは成し遂げられなかった目標に対して、みんなでかかわりあって考えて解決していこう、というのが「共創社会」の考え方だということです。

いつの頃からか「自己責任」と言う言葉がとても冷たい響きをもって語られるようになったような気がします。

それは社会全体が世界規模の競争(競い争う)原理の中に巻き込まれて行くようになってからのことかもしれません。

競争がすべて悪いとは思いませんし、競い合ってこそ成長するということも勿論あると思います。

けれども、負けた人は本人の能力不足、努力不足、つまり自己責任だと冷たく言われるような雰囲気が社会にはあります。

その中で、働き方が変わり、格差が広がり、将来に希望が持ちにくくて、生きにくさを感じておられる方々は少なくないのではないでしょうか。

助け合い分かち合うどころか、「蹴落とされたらおしまい」と言うような過酷な日々。

その中で、心病む人は増え、人間らしく生きるという、ある意味で当たり前のことがだんだんと当たり前でなくなってきました。

そのようなことを感じる中で、「共創(共に創る)社会」という言葉は、とても新鮮で心が癒されるような気がしています。

私たちの生きる世の中は、競争が絶えません。

いつの世もそういう争いが終わることなく続いて来たのかもしれません。

私たちはそのような社会を生きています。

だからこそ、先ほど読んでくださった聖書の御言葉に注目したいと思います。

中二の聖書の授業でも今学期、この箇所から学びました。

これは2000年前の最初のキリスト教会の様子です。

初期のキリスト教会は、まだイエスのことを生で見たことがある人たちが多くいました。

イエスがこの地上にいた時のリアリティーが生き生きと残っていた時代です。

彼らはイエスの姿に倣って歩んでいました。

その一つの姿が「分かち合う」姿です。

それぞれが自分のものを分かち合い、支え合う姿です。

そんな最初の教会にも日々の分配の不公平によって苦情が出るというような、問題があったことも聖書は隠さず記しています。

けれども、そこで新たな改善策が検討され受け入れられることによって、分かち合い助け合う共同体としてさらに整えられて歩んで行った姿も、その後に描かれています。

私たち一人ひとりは色々なものを持っています。

自分をマイナスに捉える必要はありません。

是非、清和の営みにおいて、自分自身を見つめ直してほしいと思っています。

私たちには本当に豊かなものが与えられています。

それを誰かのために用いることができるように私たちは召されているのです。

今日も共に分かち合いながら、共にこの世界を愛のある世界へと創り上げていきたいと思います。

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