礼拝の話

2021/02/04 

2月2日(火)聖書 創世記 1章3節 高校3年生

高校3年生は明後日、卒業の時を迎えます。

それぞれ清和のチャペルで過ごした日々を振り返り後輩たちに礼拝メッセージを送ってくれました。

ご紹介します。

 

Tさん

「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」

これは、毎朝の礼拝で紹介されてきた聖句の中で、私が一番好きな言葉です。

この日のお話は、ある先生が高校受験に失敗したときの内容でしたが、「学校は勉強だけの場ではない」ということに気付けた、と話されていて、本当にそうだな、共感したことを覚えています。

ある先生は、三日坊主について、なりたい自分になる努力をしたことに意味があると話し、ある先生は、行事の種類が多い理由は、それぞれの生徒が持つ力は違うため、それを活かせる場を設けるためだと話しました。

他にも、自分と比べるべきは他者ではなく、今までの自分であること。

何かを始めるのに、遅すぎるということはないこと。

時間を大切にするということは、未来のために現在を犠牲にすることではないこと。

できないから助けを求めることは、何も悪いことではないこと。

これら様々なお話は、私たち生徒が人として成長するための大きな糧になることを、3年になった今実感しています。

先日ある先生が、清和には「学校の求める生徒像」がない理由を、朝のチャペル礼拝で話していました。

生徒像で個性を統一させた集団にせず、多様性を尊重する「人種のサラダボウル」であるように、ということを知って、小人数教育の清和らしい理由だと納得しました。

多様性を尊重することは、1つの基準だけで人を評価しないということです。

多くの学校が、学力というものさしで生徒の評価の大部分を決めてしまいますが、清和は様々な視点から生徒を見てくれます。

私にとって、チャペルで先生方の話を聞いてきた時間は、聖書の言葉を借りるなら、間違いなく「将来と希望を与えるもの」でした。

Nさん

初めてチャペルに入った時は、シンとして、空気が澄んでいて、身がひきしまる感じがして、讃美歌や、先生のお話は、いつも心地良く私の耳に届いてきました。

高1の頃に聞いたお話で「口は、良いこと悪いことも言える」というのがありました。

当たり前のことだけれど、すごく深いなと思いました。

たった一言で、人を傷付けることも、喜ばせることもできます。

この話を聞いてから、私は、自分の言葉を受け取った人が、嫌な思いをしないように気をつけています。

高2では「日常に幸せがある。一日一日を大切にしよう」というお話があり、ハッとしました。

兄が大阪に進学し、そんなに仲良くしていたわけではないのに、兄がいないことに何とも言えないさびしさを感じていました。

父、母、兄がいて、私がいる日常が、私にとってはとても幸せだったんだと気がついた瞬間でした。

学校生活においても、清和を卒業する日が近付いてきている私にとって、友達と勉強する時間も、おしゃべりする時間も、一緒にお弁当を食べる時間も全て、日常の大切な1日なのです。

そのことに気付けて本当に良かったと思います。

高3になって聞いたお話の中に、「自分自身と向き合い、目標に向かって頑張る姿は素敵である」というものがありました。

私はこれまで自分なりに一生懸命学校の勉強に取り組んできましたが、「もうやりたくないな」という諦めの気持ちになることもありました。

でも、行きたい大学が見つかり、先生方の励ましを受け、無事希望大学に合格することができました。

このように、チャペルで過ごした時間は、私にとって、自分を振り返って反省したり、気付かなかったことに気付かせてもらえたり、勇気や元気や優しさをもらえる素晴らしいものでした。

このチャペルで過ごした礼拝の時間を、私は忘れることは無いでしょう。

Oさん

3年間で特に印象に残っているお話は、「失敗について」です。

人生の中にはたくさんの出来事、たくさんの失敗があるという言葉がありました。

その言葉を聞いて、自分を振り返ってみると、私も看護師を目指して受けた高校受験に失敗しました。

最初は、自分の望んでいた学校ではないし、学校に馴染めるかとても不安でしたが、清和での学校生活を通して多くの友達や先生に出会うことができました。

そして、私は新しい目標を見つけました。

今まで失敗を恐れてチャレンジすることから逃げてきた私でしたが、これからは、自分のやりたいことを積極的に取り組んでいきたいと思います。

私は、失敗は成長や成功のもとだということを、このお話を通して感じることができました。

前までの自分は失敗をすることはいけないことだと思っていましたが、このお話を聞いて、今はその失敗を自分の人生の中の大切なターニングポイントであり、欠かすことのできない出来事だと思っています。

Fさん

聖書の言葉の中で、特に印象に残っているものがあります。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

私たちの人生には、たくさん選択をする時があります。

学校生活や、普段の生活の中でもです。

私も実際、普段から、たくさん選択をする機会に直面してきました。

これから生きていく中で、何をして生きていくのか、どこに進学をするのか、何を勉強していくのか…進路を考える中で、多くの選択肢に直面し、悩むことも多かったです。

あの時ああしていればよかったのかな、と後悔することもたくさんありました。

しかし先生は、大事なことを教えてくれました。

それは、決断するたびに失敗したと思うことがあったとしても、その経験を次に生かせばいいということです。

失敗したことに気づくこと、大事なことや大切なことは、後になってわかることがあります。

何より大切なのは、「今」を大切に取り組むことなのです。

このお話を聞いて、私は、今を大切に、一生懸命に生きれば、未来もきっといい方向に向くということに気付きました。

私たちは高校を卒業し、大人になっていきます。

新たな環境で生きていく中で、大きな決断を迫られること、一人で決めていかなければならないこと、たくさんの選択をしなければいけないと思います。

どんな選択をしても、自信を持って生きていくために、今を大切に、1日1日を大切に、過ごしていきたいです

失敗することもあると思います。

でも、その時はまた、新たな門をたたきたいと思います。

これからも、人生を歩んでいく中で、いつも聖書の言葉を胸に、自分自身成長していきたいです。

Mさん

清和に入学して、初めて讃美歌を歌い聖書を読みました。

最初は不思議な感じがしていましたが、6年目の今は、礼拝をせずに授業が始まると違和感を覚えるのではないかとさえ思います。

それほど、私にとって毎朝のチャペルでの礼拝は当たり前のものになっていました。

毎朝の先生方のお話は様々なものがありました。その中でも特に私の心に残っているものをいくつか挙げたいと思います。

1つ目は「言葉は人に勇気や希望を与えることもあれば、苦しみや悲しみを与えることもある。」というお話です。

これを聞いて気付いたことは、それまで悲しい時に周りの人から様々な思いやりの「言葉」をかけてもらい励まされたことがあったけれど、多くの場合まず悲しむ原因となる「言葉」があったことです。

この時から、自分の発する言葉に気をつけて相手に苦しみや悲しみを与えないようにしようと心から思いました。

2つ目は、長さ、形、素材などが異なる物差しを見せながらしてくださったお話です。

先生は「ここにあるだけでも物差しにはこんなに多くの種類がある。1つ1つの物差しに合った使い方がある。だから私たちも一人ひとり違うところがあり、自分の役割がある。」と話されました。

私は周りと合わせることばかりを考えて他者と比べていました。

しかしこの話を聞いて、周りと違っていい、自分らしくあればいいし、もしかしたら自分にしか出来ないこともあるかもしれないと思うようになりました。

それは私を精神的な縛りから解放してくれて心が軽くなったのを覚えています。

3つ目に思い浮かぶのは、マタイによる福音書四章四節の「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る1つ1つの言葉で生きる。」という箇所に合わせて、「体は食べ物がつくる。心は環境がつくる。礼拝で心は栄養を得ることができる。」というお話をしてくださったことです。

私はこのお話の通り、清和での6年間を経て沢山のお話を聞き、その栄養を基に成長することができたと思います。

卒業をしたら当たり前だった毎朝の礼拝が無くなってしまうけれど、これまで聞いてきたお話や聖書の御言葉を糧にしてこれからも生きていきたいと思っています。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ