清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2024/02/07
人と人が結ぶ関係を、歴史学ではソシアビリテと呼びます。
血縁関係、職業など、様々なソシアビリテが存在します。
近世のパリでは、外敵から守るために、街の外に壁が建設されました。
壁は「こちら」と「あちら」を区切るものです。
「こちら」を、「あちら」から守ろうとするものです。
私たちもそれぞれに、心に壁を持っていると言えます。
生垣のようなのどかな壁の時もあれば、鉄線をめぐらしたような壁の時もあると思います。
あって当然の心の壁ですが、自分の心と相手の心を守る砦として、壁とは上手く付き合っていく必要があると思います。
一方で、現実世界で建設される壁は、常に戦争の気配を含んでいます。
歴史の中では、万里の長城、中世ヨーロッパの城壁、ベルリンの壁。
現在も、世界の国々がいくつもの壁を建設しています。
「防衛」を名目に建設された壁は、「こちら」と「あちら」の隔たりを色濃くし、分断を生みます。
作家の村上春樹が、ある文学賞を受賞したときに、「壁と卵」というスピーチをしました。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」というものです。
これは、イスラエルから贈られた「エルサレム文学賞」を受賞したときに、現地で語られたものです。
2008年の当時、イスラエルはパレスチナ自治区ガザを攻撃していました。
現在と同じ状況です。
壁と卵が表すのは、戦争だけではありませんでした。
村上さんのスピーチで注目したいのは、「どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます」という部分です。
卵は完璧ではなく、間違っているかもしれない、それでもなお卵の側に立ちたいと言うのです。
今日の聖書箇所は、自分の弱さを取り除いてくださいと願ったパウロが、「わたしの力は弱さの中でこそ発揮される」というキリストの言葉を聞く場面です。
私たちは完璧ではなく、弱さと共にあります。
そして過ちを許され、無条件に愛を与えられるときに、自分自身の弱さに気付きます。
清和での日々は、エルサレムにほど近いベツレヘムに貧しく低く生まれた、キリストの教えと愛に促されて、成り立っています。
卒業を迎える高校3年生の卒業文集には、その中での歩みや成長が綴られています。
高校3年生にとって、当たり前となった清和での日々はもうすぐ終わります。
毎朝のチャペルも、帰りのホームでのクラスメイトのお祈りも、あと数回を残すばかりです。
みなさんは、自分自身のことから、周囲との関りから、そして聖書の言葉を通して、壁に直面する卵のような「弱さ」を、よく知っていると思います。
「弱さ」を知っていることこそが「強さ」となり、自分自身や周囲に対して、愛を持って接することができるはずです。
清和の卒業生となるみなさんは、その力をもった、大切な存在です。
卒業後も、それぞれの場所で、それぞれの愛が一層深められ、「心の清い人」「平和を実現する人」としての歩みを進められるようにと、祈っています。