礼拝の話

2023/02/14 

2月6日(月) 聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 4章10節 社会科 山脇

今週末、高校3年生は卒業の時を迎えます。

その歩みの速さは一人ひとり違うと思いますが、ここまでの歩みが神に守られたことを感謝したいと思います。

体育大会のクラス紹介の際、青柳先生が高校3年生を紹介しましたが、今、その紹介文が思い起こされます。

青柳先生の紹介文は、皆さんの高校生活がスタートした時からコロナ禍が始まり、そのような異例な状況のなか、皆さんは高校生活を歩んできたことを改めて教えてくれるものでした。

確かにそれまでとはガラッと世界が変わり、異例の3年間だったかもしれません。

しかし、言い方を変えれば特別な3年間とも言えます。

それは、いままで誰も経験したことのない状況を、みなさんは様々な苦労を抱えながら歩んできたからです。

世間的には「かわいそうな学年」と映るみなさんの3年間は、異例であったとはいえ、やはり特別な3年間だったのではないでしょうか。

みなさんが過ごした高校3年間、毎朝の礼拝では先生方が聖書を通して様々なお話をされました。

学校生活全般のこと、勉強のこと、クラブ活動のこと、自分の体験談、読んだ本の中から感じたことなど、毎朝の礼拝はそれこそ十人十色といって良いでしょう。

それぞれの先生方が、自分の切り口で、皆さんに伝えたいこと、皆さんに願っていることをお話されています。

そのような毎朝の礼拝は、その切り口は違うとはいえ、必ず共通するものがそこにはあります。

それは、神が一人ひとりを大切な存在として命を与えられたということと、その命を与えられた神は私たちを愛してくださっている、ということです。

その点は、たとえ話の切り口が違っても、決して揺るがないものだと思います。

神が命を与え、その小さな存在を愛してくださっているということを、私は妻の出産に立ち会ったことで改めて実感しました。

その場に立ち会ったことで、一つの命が生れるために、どれだけの時間と、どれだけの苦労と、どれだけの支えがあるのかを実感しました。

何より、その小さな命がいかに尊いものなのか、その小さな存在がどれだけ大切なのかを実感しました。

今日の聖書箇所には「私たちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償う「いけにえ」として、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」とありました。

神は独り子であるイエス・キリストをこの世に遣わし、十字架にかけることで私たちの罪を赦されました。

独り子を十字架にかけてまで、神は私たち一人ひとりを愛されている、と聖書は言うのです。

その神の愛は、子どもを愛する親の愛情と変わりがないのだと思います。

高校3年生のみなさんは、異例かもしれない、しかし特別な3年間を歩んできました。

その一人ひとりの歩みにも、目には見えない神の支えがあったと思います。

言い換えれば、一人ひとりを大切な存在として愛してくださる神が、みなさんとともに歩まれた3年間だったと言えます。

みなさんも、そして私たちも、大切な存在として神に愛され、生かされているということを心に留め、感謝して歩んでいきたいと思います。

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