礼拝の話

2023/02/14 

2月3日(金) 聖書 詩編 101編7節 英語科 畠中

幼い頃のある日、人間の嘘を見抜く「うそ発見器」というものが実在し、犯罪者を対象に使用されている、ということを知り、大変な衝撃を受け大興奮しました。

当時の私は「うそ発見器」は心の中を映像化したり、心の声を音にして流すことができたりして、そこから対象者の嘘を見破ることができる、そんな夢のような未来の機械だと勝手に想像していたのですが、これはそんな夢のような未来の道具ではありませんでした。

「うそ発見器」は、人が緊張したり感情が揺れ動いたりする時に皮膚の電気抵抗が変わることを利用して作られた、きわめて現実的な装置でした。

当時の私は「うそ発見器」が未来の道具でないことがわかってがっかりしました。

けれどその後何度となく当時のことを思い出し、その度に私は人間というものに感心させられています。

私が人間のどんなところに感心させられるかというと、それは、人間は嘘をつくと身体に変化が起こるというところに、です。

つまり本来人間は嘘をつきたくないと思っているし、そもそも身体が嘘をつけない仕組みになっているということです。

そしてそこから導き出せる結論として、人間は生まれながらに素直で美しい心を持つ生き物だと言えます。

そう考えると、私はいつもしみじみと嬉しく、感動にも似た気持ちになるのです。

さて、今日読んでいただいた聖書箇所で、神さまは嘘をつくことを戒めておられます。

なぜ人は嘘をついてはいけないのでしょうか。

私はこれまで、「それは相手の心を傷つけてしまうから」だと思って、それ以上深く考えたことはありませんでしたが、「うそ発見器」でわかったように、私たちは嘘をつくと緊張したり感情が揺れたり、呼吸や血圧など様々なところが乱れます。

つまり身体全体が苦しくなるのです。

そのことから考えると「嘘をついてはいけない」と神さまがおっしゃるのは、1つには大切な私達が自分のついた嘘で苦しまないように、体を壊さないように、毎日心身ともに健やかに、心から笑って過ごしてほしいと願っておられるからだとわかります。

では他にはどうでしょうか。

それは、私たちはこの世界で1人きりでは暮らせない、互いに助け合わなければ生きていけない、ということにヒントがあるような気がします。

互いに助け合って生きていかなければならないのに、相手が嘘つきだったら信頼関係を結ぶことはできません。

嘘をつかないということは、私たちが人として生きていくために、必ず守らなければならないことなのです。

嘘をつかないことは他人との信頼関係を築くため、自分自身との信頼関係を築くため、何よりも神さまとの信頼関係を築くためなのです。

もし嘘をついているなら、なぜ自分は嘘をついているのかよく考えてみましょう。

でも嘘をついていることで後ろめたい気持ちになって神さまから目を背けたりしないでください。

神さまにありのままの自分を受け入れてもらいましょう。

神さまはきっと全てを受け入れてくださいます。

そもそも嘘をつかないことは心地良いのです。

その心地良さは身体にも良い影響を及ぼします。

良いこと尽くしです。

そんな心地良い状態に、自分の身を常におくことができるように日々心掛けたいものです。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ