清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2023/02/14
先日『海は燃えている』というドキュメンタリー映画を観ました。
イタリア最南端の小さな島が舞台となっています。
その小さな島で、漁師の息子で12歳の少年サムエレを中心としたのどかな島の日常生活が映し出される一方で、同じ島の対岸に、舟に乗って、漂着してくる人たちいます。
この人々は、アフリカや中東から脱出してきた難民たちです。
次々と難民たちが、小さな島に漂着してくる様子が映し出されます。
中には過酷な船旅に耐えることができなくて命を落とす人もいます。
サムエレ少年のごく普通の日常生活と、難民たちの悲惨な現実が交互に映し出され、最後まで両者は交わらずに終わります。
この映画の中で、1つの島の2つの現実を結びつける唯一の存在が、島にいる1人だけいるお医者さんです。
彼はサムエレ少年の目の治療をしながら、一方では漂着する難民たちの救命をします。
すでに亡くなっている難民の検死という辛い仕事もしなければなりません。
そんな1人の医師の苦労に、人間の希望があるように思います。
もし難民を受け入れることをやめて、彼らを排除すれば、医者も苦悩から解放されます。
島の平和も保たれるでしょう。
しかし、そのようなことをする方が、人間として落ちてしまう、ということを医者はよく分かっていたと思います。
だからこそ、自らの命の中にある時間や労力を差し出しているのです。
本日の箇所で「わたしがあなたがたを愛したように」と言われていますように、イエスはまさにご生涯の中で、自らの命を差し出し、多くの人々を愛してくださいました。
そして、イエスはあなたがたも、互いに愛し合え、とお命じになるのです。
私たちは実際に「友のために自分の命を捨てる」などということは難しいと思います。
しかし、他人のために、自分の命の一部である時間や力、思いを差し出すことはできるのだと思います。
そうすることによって自分自身が弱るかもしれません。
しかし、この世界の悲惨な現実を見て見ぬふりをして、自分がよければそれでいい、と思うならば、私たちは人として落ちてしまっていると思います。
映画にありました、のどかな現実と悲惨な現実、世界にはこの2つの現実が交差しています。
私たちはのどかな現実にいるから関係ない、自分のことではないから関係がない、私たちはそのように思って、悲惨な現実を見ずに生きるのでしょうか。
しかし、私たちの命の中にある時間を割いて、世の中の悲惨な現実に目を向けることはできるのだと思います。
祈ることもできます。
その時に、「自分の命を捨てるような愛」で友を愛する歩みは始まるのです。
ささやかでも、自分の命の中にあるものを差し出るならば、この世界に愛をもたらすことができる。
そう信じて、また一日を始めたいと思います。