礼拝の話

2023/03/22 

3月15日(水) 聖書 ルカによる福音書 12章13~21節 理科 松本

先日、車の中でラジオを聞いていた時、なぜか方丈記という随筆を思い出しました。

随筆とは、心に浮かんだことや体験したことを筆に任せて自由な形式で書いた文章です。

この方丈記を記したのは、約800年前の歌人、鴨長明です。

水の流れから始まる文章は次のように続きます。

「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」

現代の言葉では「川に浮かぶ泡はできたかと思ったら、すぐに消えていく。ずっと泡が残っているのを私は見たことがない。」と言い換えることができます。

人生100年時代と言われている一生のうち、たった3年間しか経験することのない中学校生活も、川に浮かぶ泡のように儚いものかもしれません。

私は中学の時、「私はずっと中学生のままなんじゃないか」と思っていました。

しかし、そんなことはなく、中学3年間はあっという間に終わってしまい、大人になると、そんな泡のような時間だったなと思います。

ほとんどの人は中学で3年間を過ごし、卒業というときを迎えることができるでしょう。

しかし、ここ高知県で毎日の学校生活を送る私たちの未来を思う時、南海トラフ地震を控えた今、毎日の学校生活がいつ泡のように儚いものとなるかわかりません。

今日の聖書箇所では、この先何年も生きていけるほどの穀物と財産を倉にしまった金持ちに神さまは「今夜お前の命は取り上げられる、お前が用意したものはいったいだれのものになるのか」と言われました。

「後悔しない人生を送るために」とインターネットで検索すると、「メメント・モリ」というラテン語が出てきます。

この言葉は「死を想う」という意味をもちます。

実はこの言葉、中世の修道院で使われており、後に「カルペ・ディエム」という言葉が続きます。

修道院の中では、これらの言葉をつなげた「メメント・モリ・カルペ・ディエム」を挨拶として使用していたそうです。

「今日も無事に命が与えられましたね。お互いに与えられた命に感謝し、自分の使命を精一杯、果たしていきましょう。」という想いがこめられた言葉です。

私たちは、毎朝の礼拝でお祈りをするとき、この想いと重なる言葉をよく聞きます。

「天の父なる神様、今日も新しい朝をお与えくださり、ありがとうございます」。

この言葉には、今日も生かされていることに感謝しますという想いが込められています。

私たちはいつ儚いものになるかわかりません。

その日その日に、神さまから与えられた命に感謝し、その一日をどう過ごすか考えることで、〇〇しとけば良かったが残らない一日を過ごすことができるのではないでしょうか。

私自身も後のお祈りで、今日一日の過ごし方を考えようと思います。

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