礼拝の話

2021/03/19 

3月16日(火)聖書 イザヤ書 46章3~4節 日本キリスト改革派 高知教会 小澤寿輔牧師

10月から6か月間、週に一度、チャペルの時間を共にさせていただきました。

今朝で最後となります。

イエス・キリストのことをお話しする貴重な機会を与えられたことを感謝しています。

世の中には宗教と呼ばれるものがたくさんあります。

だいたい宗教と呼ばれるものは、どれも人間の力の及ばない、上の力の存在を信じます。

それを「神」と呼ぶ場合が多いものです。

「人の心を励ますありがたい話」や「死んだ後にどうなるか」、「道徳」と言われることについて教えます。

そのように聞くと、どの宗教も同じ、と言いたくなるかもしれません。

しかし、イエス・キリストは唯一まことの神であり、救い主です。

人の手で作られた偶像ではありません。

まことの神は、私たち人間の重荷を背負ってくださる方です。

マーガレット・パワーズという方の「あしあと」という詩があります。

『ある夜、わたしは夢を見た。

 わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

 暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

 どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

 ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

 これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

 わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

 そこには一つのあしあとしかなかった。

 わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

 このことがいつもわたしの心を乱していたので、

 わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

わたしと語り合ってくださると約束されました。

それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

ひとりのあしあとしかなかったのです。

いちばんあなたを必要としたときに、

あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

ましてや、苦しみや試みの時に。

あしあとがひとつだったとき、

わたしはあなたを背負って歩いていた。」』

人生の一番つらい時、私たちを背負って歩いてくださる方が共におられることを決して忘れずに、これからの人生を歩んでください。

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