礼拝の話

2021/03/22 

3月19日(金) 3学期終業礼拝 聖書 ルカによる福音書 8章26~31節 校長 小西二巳夫

本や映画を観てみようと思うきっかけになるのがタイトルです。

タイトルに魅かれて観た映画に「堀川中立売」があります。

京都の町の住所、地名は通りで決められているので、タイトルから映画「堀川中立売」は堀川通りと中立売通りの交差した場所が舞台ということがわかります。

ストーリーは京都を舞台に地球を侵略する妖怪とそれを迎え撃つ陰陽師率いる宇宙警備隊の戦いです。

妖怪の武器は、人間が誰でも持っている悪意の部分、イジメや憎しみの心を増幅させることのできる装置です。

この装置によって、人間が次々に妖怪に変えられていきます。

この映画から、人間は悪意や憎しみによって妖怪や悪魔のような存在にもなるということがわかります。

妖怪や悪霊というものは実際にはいないと思いがちですが、そうではなく身近なものだということをこの映画は教えてくれています。

聖書にも悪魔、悪霊がしばしば登場します。

悪魔が人間にどのように近づいてくるのかというと、それはわからないように、です。

“私は悪魔だ、悪霊だ”と正体をばらすようには近づいてこないのです。

あたかも自分たちを架空の存在だと人間に思わせ、すぅっと人間の内側に入ってくるわけです。

正体が分かるのは、悪魔や悪霊に取りつかれた人間の行動、言動によってです。

悪魔や悪霊に取りつかれた人には共通点があります。

それは、自分の言葉や行動が無責任になることです。

自分中心に考え、行動するために、他者や社会に対して無関心になります。

他者の痛みや悲しみに何ら心が動かされないため無感動になっていきます。

その悪魔や悪霊が特に活発に動き出す季節があります。

人が悪魔、悪霊の誘いに乗って、自分を貶めてしまうのは、季節でいうと何となく心がウキウキする春、学校で言うと年度末から新年度までという春休み、ちょうどこれからの季節です。

何となく心がウキウキする春休みが、悪魔や悪霊の動きが一番活発になる季節なわけです。

普段なら自制が働いて、するはずがない行動をとって、後悔しても後悔しきれなくなるのは、そこに悪霊が働いているからだとの自覚を持たないと、春休みだから少々羽目を外していいんじゃないの、ちょっとくらい、誰にもわからないはず、との悪魔のささやきに乗ってしまうのです。

悪魔のささやきが聞こえてきて、それに乗って、ついついやってしまう、そういうことになりやすいのが春休みです。

無責任な言葉や行動は、自分自身のことについても無関心になっていきます。

悪魔、悪霊はそういう形で一人ひとりをダメな存在として引き裂いていくのです。

人間は年齢や強い、弱いに関係なく、悪魔、悪霊に見込まれてしまうと、なかなか逃れることはできません。

そういう弱さを持っている私たちがなお、そうした存在にとりこまれず、しっかりと生きるためには、悪魔、悪霊がいないなどと思い込まないことです。

悪魔のささやきは、なんとなく心地よくて、自分を楽な方へ、楽な方へと導くということです。

まあいいか、わからなければいいじゃない、というささやきに対して、自分の内側、心の中で真正面から議論することです。

それを葛藤と言いますが、それを面倒がらないことです。

そうした自覚と姿勢をもって、明日から始まる春休みを過ごしてください。

春休みの間、みなさんの心と体がしっかり守られるよう祈っています。

4月8日の新年度始業礼拝で成長したみなさんとお会いしたいと心から願います。

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