礼拝の話

2024/03/28 

3月4日(月) 聖書 詩編 70編5~6節 校長 小西二巳夫

1年前の3月、坂本龍一という人が亡くなりました。

坂本さんは世界的な音楽家で、音楽仲間からプロフェッサー教授と呼ばれる高い音楽性と知識を持っている人でした。

音楽家の坂本さんがなぜ環境や平和問題、そして核兵器や原発の問題に熱心に取り組むようになったのかを言葉にすると「好きでたまらない音楽の仕事をすればすれほど、音楽と平和、歌と平和な世界は切っても切れない関係にあることがわかってきた」です。

坂本さんがその思いを強く持つようになった出来事は「9・11同時多発テロ」です。

坂本さんはその時ニューヨークに住んでいてこの出来事を身近に体験したのです。

当時のアメリカ大統領ブッシュはテレビで「これは戦争だ」と演説をし、日本の小泉首相はすぐにブッシュの発言を支持する声明を出しました。

いかにも正しい、正義のように思われますが、これに対して坂本さんは新聞で次のような意見表明をしました。

「報復すれば傷つくのはどこにも逃げ場のない子どもを含む一般市民であり、平和憲法を持つ日本の代表として、どのような戦争行為も支持するべきではない」。

そしてこの意見表明は音楽家の苦悩に満ちた次の言葉で終わっています。

「事件から最初の3日間、どこからも歌が聞こえてこなかった。そして生存の可能性が少なくなった72時間を過ぎた頃から街に歌が聞こえ出した。若者たちが『イエスタディ』を歌っているのを聞いて、なぜかほんの少し心が緩んだ。しかしぼくの中で大きな葛藤が渦巻いていた。歌が諦めと共にやってきたからだ。断じて音楽は人をいやすためだけにあるとは思わない。傷ついた者を前にして、音楽は何もできないのかという疑問がぼくを苦しめた」。

坂本さんは音楽や歌が人を助け励ますと信じて活動を続けてきたけれど、いざという時に、音楽が力を発揮できない無力さ感じたと言うのです。

しかし、坂本さんの偉いのは、それで終わらないことです。

それを次のように表現しました。

「世界が緊張と緊張でぶつかり合っている時、みんな音楽を忘れる。でもそこにポロリンという音が入った瞬間に、音楽を忘れていたことを思い出す。固く閉ざした心を開くのは音楽などの芸術だと思う、音楽にはその役割がある」。

自分にその役割が与えられているなら、その役割をしっかり果たしていかなければならないと考えて、平和と環境の問題に、そして核兵器と原発問題に積極的に人生の最後まで取り組まれたのです。

旧約聖書の詩編はそのままズバリ音楽、歌です。

そして70編は当時苦しい生活をしていた人々の愛唱歌でした。

人々はこの歌を歌うことで、自分たちの先祖の明るい時代を思い起こしました。

この歌を歌うことによって、自分は一人ではないということを実感しました。

そして、この歌を声を合わせて一緒に歌うことによって、たとえ今がしんどくても、必ず嬉しい明日が来るという希望を捨てなかったのです。

歌が自由に歌える間は、音楽を聴くことができる間は多少のことはあっても、平和で人間らしく生きられているということです。

そこに歌を歌う意味、そして礼拝で一緒に歌うことの目的があります。

礼拝で賛美歌を歌うのは誰のためかです。

賛美歌は神に自分が生かされていることに感謝します、などの思いを届けることです。

そこで気づかされるのは、苦しさのあまり歌を歌う気持ちになれない人が、音楽を聴きたくても聴けない状況に生きる人たちが大勢いることです。

今私たちに求められているのは、そこに生きる人たちが安心して歌うことができるように、好きな音楽が聴けるよう、たとえ小さな声であっても、それを集めて届けることです。

そう考えると声を出しているかいないかのようないい加減な歌い方はできないのです。

私たちの思いや祈りを、賛美歌を歌うことによって神にしっかり届けることができたら、神が苦難の中に生きる人たちに、歌が歌えるそして音楽を聴ける平穏な状況をもたらしてくれると信じたいのです。

毎日の全校礼拝の賛美歌をしっかり一緒に歌っていきたいものです。

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