礼拝の話

2024/03/28 

3月5日(火) 聖書 ヨハネによる福音書 4章13~14節 音楽科 三浦

試験期間になると、難しい科目を前にいろいろな思いを抱くことでしょう。

その時に、考えてもらいたいことは、「教育とは何か」「学ぶとは何か」ということです。

この質問への答えはなかなか難しいものだと思います。

わたしたち、キリスト教学校で学ぶ一人ひとりが本当に考えなければならない「教育」は、「人が一人では生きられないことを知り、他者と共に歩む者となる」ことを考え、身に着けることだとわたしは考えています。

「教養」は「学ぶことによって養われる、心の豊かさ」です。

心が豊かになるためには、その心を育てるための栄養が必要です。

その栄養は、日々の生活でわたしたちが感じること、考えること、その全てです。

そんなことを考えていた時、1つのドキュメンタリー映画に出会いました。

「世界のはしっこ、ちいさな教室」というものです。

世界に目を向けると日本の人口とほぼ同じくらいの人数、1億2100万人の子どもたちが、学ぶ機会を得ることができずにいます。

そんな現実の中、ブルキナファソ、バングラデシュ、シベリア東部のアムール州で教育に当たる3人の教師にスポットを当てて構成されていました。

異なる環境で教育に当たっている3人の教師ですが、共通していることがあります。

それは、教育を受けるチャンスをきちんと子どもたちに与え、一人ひとりが自立した人間として歩めるようになってもらいたいという使命感を持っているということです。

子どもたちは、このそれぞれの教師に出会い、新しい自分の一面を知り、学ぶことの楽しさを得ていくことで、将来への希望を抱くようになります。

本来、「学ぶ」「教育を受ける」ということは、このようなことを指すのだと思わされた映画でした。

今朝の聖書の箇所では、「永遠に至る命の水」について話されています。

ここで言われる「水」は喉の渇きを癒すだけの水を指しているのはありません。

それは、「心を養う水」です。

学ぶこと、知ること、考えること、悩みも苦しみも喜びも感謝も、そのすべてをもって、わたしたちは心を養い、育てていきます。

これは何歳までやればよい、とか、いつからいつまで、とかいうものではありません。

わたしたちは、日本の高知で、清和で日々学ぶ、という環境が用意されています。

日本の人口と同じくらいの世界中の子どもたちが、今日も学ぶチャンスを求めています。

その環境が与えられているわたしたちには、今日1日しっかりと生き、学ぶことが求められています。

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