礼拝の話

2024/04/17 

4月11日(木) 聖書 マタイによる福音書 2章18節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

2月末から3月にかけて大学生6名を連れてカンボジアに行ってきました。

清和と同じキリスト教学校、ホザナスクーを訪問し、三日間、小3から高3までの子供たちに授業を行い、スキットやゲームを通して子どもたちと良い交流を持つことができました。

空き時間には学校の周りを散歩しましたが、現地の人たちはとても優しく、目が合うだけで、笑顔で手を振ってくれました。

初めてカンボジアを訪問しましたが、とても良い国だなと肌で感じました。

しかし、カンボジアはとても悲しい歴史を背負った国です。

訪問期間中、悲しい歴史に目を向けるため、トゥール・スレン博物館とキリングフィールドに行きました。

1970年代、ポル・ポト政権下の時代、カンボジアでは国民の4分の1が虐殺されました。

訪問したトゥール・スレン博物館は実際に、尋問と拷問が行われた場所です。

約3年の間に2万人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのは8人のみです。

またもう一つ訪問したキリングフィールドは、大量虐殺が行われた処刑場です。

この場所に訪問して1番ショックだったのが中央にある大きな木でした。

ここで多くの赤ちゃんたちが打ち付けられて殺されました。

私は胸が締め付けられる思いでした。なぜ、このようなことが起こるのか。同じ人間なのに、このようなことができるのか。

しかし、私たちの歴史は、こういった支配者による虐殺が繰り返されてきたのです。

日本語ガイドを聞きながら周りましたが、そこでガイドは「この歴史を語り続けること、また、それぞれがこの歴史を知ることが未来につながる」と言っていました。

その通りです。

私たちが未来を生きていくためには、過去をよく知ることが重要です。

平和を願いながら未来を建て上げていくために、過去の学びが必要です。

本日読んでいただいた聖書の言葉は、イエスが誕生して間もない時の場面です。

ユダヤを支配していたヘロデ王は、イエスを憎み、ベツレヘムにいる2歳以下の幼子を皆殺しにしました。

この聖書の言葉を記した人は、旧約聖書の言葉を用いて、その悲劇を嘆く母親たちの姿を表しています。

イエスの生まれた時代は、支配者の暴走によって、多くの尊い命が失われる、血生臭い世界でした。

聖書が記すクリスマスは、メルヘンのかけらもありません。

これが世界の現実です。

今と何も変わりはありません。

今も、ウクライナや、ガザ地区で多くの命が失われています。

多くの子どもたちの命ももちろん失われています。

その中で私たちは一体何ができるのでしょうか。

私たちはこのチャペル、また清和の営みを通してイエスの姿を見つめています。

イエスは、多くの子どもたちの命が失われる血生臭い現実の中で生まれました。

そして、差別されている者、病の者、弱さの中にある者たちに手を差し伸べました。

イエスが大切にされたのは、人間の尊い命です。

私たちは清和の営みの中でこの点を共に共有したいと思います。

このチャペルでイエスの姿を見つめる時に、私たちもそれぞれの尊い命を重んじることができます。

そして、この世界の悲惨な現実のために祈ることができます。

そして、弱さの中にある人たちの痛みを理解することができます。

その時に、この世界に愛をもたらす物語が始まっていくのではないでしょうか。

悲惨な歴史に目を向けながら、今日も、イエスの愛に根ざして生きていきたいと思います。

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