礼拝の話

2021/04/15 

4月15日(木) 「祈りを科学する」 聖書 マタイによる福音書 6章9~13節 校長 小西二巳夫

今日は「お祈り」について科学的に考えます。

お祈りというと、宗教を信じている人たちがするものだと考える人がいます。

祈りは弱い人がするものと思っている人でも、困った時や苦しい時に思わず「神さま助けてください」と祈りの言葉が口から出ることがあるのは、人間の遺伝子DNAや脳には「祈る」ことが組み込まれているからです。

そして清和は「祈ること」を大切にしてきた学校です。

清和がなぜ祈りを大切にしてきたかというと、単にキリスト教の学校だからということではありません。

祈りの力を知っているからです。

新約聖書の使徒言行録に「若者は幻を見、老人は夢を見る」という言葉があります。

これは、将来こうしたい、こうありたいという、ドリーム・夢を描くこと、ビジョン、展望とか理想を持つことです。

聖書は、人間は年をとっていても若くても将来に希望を持つことが大切だというわけです。

それは、将来に希望を持つことなしに、今をしっかり生きることができないからです。

夢を描くこと、展望を持つことは、持てたらいいというものではなく、なくてはならないものだと何千年も前の人たちは自分たちの体験から考えたのです。

展望的記憶の能力を高める方法の中に、他の学校にはできないけれど、清和にはできる、清和がしていることがありました。

それは祈ることです。

その祈りは初めに触れた「苦しい時の神頼み」のようなことではありません。

そもそも祈りは、これからこうなってほしいと、願いや希望を実現するということですから、それは未来に向かい、

祈りは向こうからやってくる未来を良いものに変えようとすることです。

それも言葉によって行うものです。

言葉であっても必ずしも声に出すとは限りません。

心の中で祈る方法もあります。

明日はこんなふうであってほしいと願うのが祈りですので、祈りは自分の心を未来に向けることです。

このように、祈りによって展望的記憶は強められるのです。

祈りは祈っている人の脳の中に変化をもたらし、その人の生き方を良い方向に変えることにつながる、とある脳科学の専門家が話しています。

そこで大切なのが、祈るときには「良い祈り」をしなければならないということです。

嫌いな人に何か悪いことが起こるように祈ったとすると、そこには悪意、ネガティブな感情が含まれ、祈る人の脳に強いストレスがかかり、人間の脳の最も大切な機能といわれる記憶の回路を動かす「海馬」の部分を委縮させてしまうそうです。

反対に、良い祈りによって、脳の中に「ベータ・エンドルフィン」「オキシトシン」と呼ばれる物質が分泌されます。

「ベータ・エンドルフィン」は記憶力を高め、集中力を増す物質ということで知られています。

オキシトシンは愛情ホルモンと呼ばれ、幸福な気持ちにさせてくれると同時に、記憶力を高める作用もあるので、オキシトシンを分泌させることによって、勉強や学習の効率がよくなるのです。

良い祈りについてもう少し考えてみます。

人は何かの競争に勝ちたい、勝たせてほしいと祈るのは、それ自体は悪いことではありませんが、その祈りが競争相手の失敗や不幸を祈るとしたら、それは脳に大きなストレスを与えることになります。

そこで私たちがどのように祈ればよいのか、それを一番よく分かっていたのがイエス・キリストです。

先程読んでもらった聖書の最初の言葉は「だから こう祈りなさい」です。

その中身は、自分のためだけ、自分が得することだけを考えていないことがわかります。

他の人たちのために祈っている言葉が書かれています。

その祈りがそのまま、自分の脳にもよい影響を及ぼすものになっていくわけです。

そう考えると祈らないわけにはいきません。

祈らないことがいかにもったいないことなのか、自分を大切にしないことなのかが分かってきます。

他の学校で祈ることをするなど考えられません。

清和だから当たり前にできるのです。

自分の脳を活性化させるためにしっかり祈っていきましょう。

一人がお祈りをして最後に「アーメン」といいます。

「アーメン」を日本語にすると、「そうです」「そうなってください」の意味です。

その人の祈りにアーメンと声を合わせることで、自分も祈ったことになるのです。

ということは、アーメンをしっかりいうこと、アーメンの声を大きく言えば言うほど、自分の脳が活性化することになるのです。

それがわかると、自分のためにアーメンと声を出したくなります。

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