清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/04/20
キリスト教教育週間5日目、今日はキリスト教会について話します。
キリスト教の学校の清和はすべてのことを礼拝から始めます。
清和にとって、礼拝は命です。
清和以上に礼拝を大切にしてきたのがキリスト教の教会です。
礼拝を大切にすることを見える形にすると、日曜日の午前中にすることになります。
今から30年ほど前までは1週間の休みは日曜だけだったので、日曜日の午前中はあれもできる、これもできると思える一番楽しい時間です。
その時間を礼拝に使うのです。
人間にとって、自分を大切に考えているようで、結局は一番自分をダメにするのは自分中心に考えて行動することです。
自分中心になると、知らないうちに人間関係が悪くなったり、心が傷ついたりします。
日曜日の午前中に教会に行き、礼拝するのは、時間を神さまのために使うことです。
そうすることで、自分中心の生き方をしないで済むわけです。
こうして日曜日の礼拝がその人にとって何よりの救いになるのです。
ヨーロッパやアメリカの曜日の数え方は月曜日からではなく日曜日からです。
1週間が休みの日から始まるということではありません。
日曜日の礼拝に出て、心と体が癒されて、同時に新しいエネルギーをもらって1週間を始めるのです。
日曜日の礼拝に出席することで、前向きな自分になれるわけです。
教会の礼拝とはどんなものでしょうか。
英語とフランス語でレストラン、イタリア語でリストランテというと、それは料理を食べさせてくれるお店・食堂です。
レストランの語源はラテン語の「レストラーレ」(回復する)です。
レストランが誕生したのはフランスのパリ、1765年、居酒屋の主人がスープ、鶏肉、ゆで卵などを出したのが始まりだと言われています。
主人は店の看板に次のように書きました。
「胃の痛む者は誰でも私のもとに来なさい。元気にしてあげよう。」
これは先程読んでもらった聖書の箇所にかぶるフレーズです。
マタイによる福音書11章28節の言葉です。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」
この文句が評判を生んで同じような店が次々にできました。
ということは、レストランはもともと、身体によいものを食べて元気になってもらう場所だったということです。
心と体を癒し、回復させるための教会の礼拝をレストランで出される料理で考えてみました。
教会レストランで出される食事は、ちょっとおしゃれなコ-ス料理です。
前菜、スープ、サラダ、デザート、コーヒーにあたるのが、賛美歌を歌い、聖書を読み、そしてお祈りでしょう。
メインディッシュは牧師さんの説教です。
説教は毎週、聖書の箇所が違い、話の内容も違います。
そうすると教会レストランは週替わりのコース料理を出しているお店となります。
どのような料理にするのか、決めて準備するのは料理長・シェフです。
すると教会レストランのシェフは牧師さんということになります。
教会レストランに行ったみなさんのレポート感想に時々あるのが、メインディッシュの牧師さんの説教がよくわからない、です。
わからないよりわかったほうがいいに決まっています。
でも、わかるわからないが説教のすべてではありません。
使っている香辛料や調理方法がわからなくても、おいしい料理はたくさんあります。
わかるわからないが説教のすべてではないのです。
よくわからないけれども、聞いていて何か元気になりそう、慰められるということもあるのです。
キリスト教はそれを聖霊の働きと呼んでいます。
ふつうのレストランで出されると教会レストランには1つだけ大きな違いがあります。
レストラン料理をよりおいしく食べてもらうためにパンを出しますが、教会レストランは逆です。
教会レストランはパンをしっかり味わってもらうために料理を工夫するのです。
聖書の言葉に「わたしは、天から降ってきたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」があります。
わたしとはイエス・キリストのことです。
イエスは自分をパンになぞらえ、イエス・キリストを受け入れるならば、その人は今日をそして明日をいきいきと過ごすことができると言われました。
言ったというのは約束をしたということです。
2階ロビーのパネルボードを見てもわかりますが、高知には教会がたくさんあります。
それぞれ違いがあり個性があります。
どの教会の礼拝に出席するか、自分で考えて、どこに行くのかを考えてください。