礼拝の話

2021/04/22 

4月21日(水) 聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節 家庭科 青柳

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。』

皆さんはこの聖句を読んで、どのように感じるでしょうか。

私たちは、喜怒哀楽、様々な感情を抱えながら生きています。

何があっても常にニコニコと喜ぶことは到底できません。

しかし、腹が立つことやイライラすること、人の嫌な部分に対するセンサーよりも、ほんの小さな喜びに目を向ける努力は、意識をしたらできるのではないかなと思います。

人が一番言われてうれしい言葉は、「ありがとう」という感謝の気持ちを伝える言葉だそうです。

この「ありがとう」は、なぜ言われると嬉しいのでしょうか。

「ありがとう」とは漢字で「有り難う」、「有る」ことが「難しい」と書き、「滅多にないこと」という意味だそうです。

諸説ありますが、もともとこの言葉は神をほめたたえ、称賛する言葉として使われていたそうです。

神さまが手助けしてくれて、自分のために何か都合の良い機会を与えてくれる、それはまさに「滅多にないこと」、「ありえないこと」、そんなミラクルなことが起こった時に言う言葉こそ、本来の「有り難う」という言葉だったのだそうです。

ミラクルを別のいい方をすると「奇跡」です。

「奇跡」の反対は「当然」とか「当たり前」という言葉です。

私たちは、毎日の生活を当たり前だと思っていませんか。

誰しも、今日と同じ明日が繰り返されると思うのです。

今日、誰かと出会い、話し、笑い、泣き、食事をして、仕事や勉強ができるこんな当たり前だと思うことが、本当は奇跡の連続なのです。

忙しく過ぎていく毎日ですが、そんな時こそ立ち止まって周りを見回してみましょう。

たくさんの「当たり前」が「有り難く」見えてくるはずです。

今では当たり前に人に対して使われる「ありがとう」も室町時代までは、神のみに対して使われる言葉で、室町時代以降、人に対しても使われるようになったといわれています。

世界に目を向けると、「ありがとう」と同じ意味を持つ言葉がたくさんあります。

たとえば、Thank you / Gracias / Merci / Danke schön / Grazie など。

代表的な英語の「Thank you」を例に挙げて言うと、これは、「私はあなたに感謝する」という言葉です。

つまり、明らかに人に対して感謝しています。

一方、日本語の「ありがとう」という言葉は先ほど言ったように、本来、神が、あり得ないことを起こしてくれたときに使われた言葉ですから、「ありがとう」というたびに、人を通して”神”にも感謝しているという点で、日本の「ありがとう」は、他の国で使われている感謝を表す言葉とは、大きく異なります。

「ありがとう」という言葉は、誰にとっても喜びに変わり、この言葉が溢れるときっと私たちの生活がより豊かになるのだと思います。

先日、クラス目標を決める際に、クラスのみんながどんなクラスにしていきたいか、そして、そのようなクラスにするためにはどのようなことを一人ひとりが心がけていくのか、ということを話し合いました。

どの項目も、みんな一生懸命考えてくれて、素晴らしいものばかりでした。

その中で、「挨拶や感謝の気持ちを忘れない」ということが出ました。

とても大切にしたいことだなと思い、今日の礼拝でこの聖書箇所のお話をしようと思いました。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」。

これは1人では到底できないことです。

ともに喜ぶ友だちや家族がいて、誰かのために祈り、また自分のために祈ってくれる人がいること、神さまと周りの人に「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えることが、学校生活だけでなく毎日を豊かに過ごすための秘訣なのかもしれません

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