礼拝の話

2021/04/22 

4月22日(木) 聖書 フィリピの信徒への手紙 4章4節 日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 高知聖書教会 柿谷信実伝道師

日本のことわざに「笑う門には福来る」という言葉があります。

笑っていれば自然と幸せが訪れ、しかめ面をしていれば、幸せは逃げていく、ということわざです。

聖書にも「喜びなさい」と、様々な場面に書かれています。

今日の聖書の箇所には2度、「喜びなさい」と書いてあります。

文字通り、「笑顔でいること」「心に喜びを持つこと」が喜びなさいと勧められている具体的な行為でしょう。

なぞなのは「主において」というところです。

喜ぶ動機が「主」にあるのでしょうか。

けれど、聖書の勧めている喜びの動機は「主において」と限定されています。

何をするにしても動機というのはとても重要です。

今週、オリンピックの聖火リレーが高知でありましたが、ここからここまで、と走るにしても、どのような動機で走るのかによってその走り方は違ってくるでしょう。

喜ぶについても、意味不明に喜ぶのではなく、「何によって喜ぶのか」が大切です。

「主において」の「主」という言葉は【キュリオス】と、いうギリシャ語です。

意味は、〔主人、財産の所有者〕などで、目上の人に対する尊敬語としても使われた言葉です。

「主にあって喜ぶ」とは私の本当の所有者である神さまを根拠に喜ぶ、ということになります。

この手紙を書いたパウロは、なぜこのように喜ぶことを勧めているのでしょうか。

少し前の節を読んで文脈を見ながら読んでいくと、そこには2人の女性の間に争いが起こっていたことがわかります。

普通、争いがあるときには「赦し合いなさい」と語るものですが、パウロは不思議と「喜びなさい」と勧めています。

それは、喜ぶことによって心が変わるからです。

喜ぶ人の心は自然とギスギスした心に余白を作ります。

少し心が寛大になり、自然と次のステップが見えてくる、赦そうかなと思う心が芽生えてくる。

そんな風に心が変えられていくことを神さまは知っているからパウロを通して聖霊のよってこの言葉を当時のフィリピの人たち、また私たちに送っているのではないでしょうか。

私は喜ぶことを実践して人生が変わった人の一人です。

それまで、多くの悩みや苦しみにあった人生から、喜びなさいという神さまの言葉を受け取り、実践したとき、私自身が変わり、世界が変わっていきました。

実際には私が変わったのです。

神はさまは喜ぶことによって、人の心が変わっていくことをご存じです。

それは人を造ったのは神さまだからです。

神さまは私たちが喜ぶことを選び、幸せになることを心から願っているお方です。

喜べないときも多々ありますが、試しに一度、喜んでみてください。

きっと心が変わるでしょう。

そして、神さまの用意されていた幸せが訪れるでしょう。

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