礼拝の話

2021/04/23 

4月23日(金) 聖書 ペトロの手紙Ⅰ 4章10節 保健体育科 伊勢脇

 

私には一番印象的で、思い出となる讃美歌があります。

今日歌った讃美歌「主われを愛す」が私の中で一番思い出深い賛美歌です。

私の両親は耳が聞こえません。

母は生まれつき聞こえず、父は小さいころ高熱を出して聞こえなくなってしまいました。

両親ともに耳が不自由なため、私の家では口ではなくて、手話で会話をします。

朝の「おはよう」の挨拶も笑い話をするときも、もちろん喧嘩も、叱られるときも手話で育ちました。

生まれたときから会話は大きく手をふって話すジェスチャーのような感じで、いつも手話だったので違和感なく過ごしてきました。

父も母も耳が聞こえないので、歌というものは知っていてもメロディを知りません。

幼い頃、保育園で習ったチューリップの歌を母は『咲いた、咲いた』と言って手話するだけでしたが、私がそれに対して『さーいーたー、さーいーたー』と伸ばすところを逆に教えたりして一緒に歌ったことをよく覚えています。

そしてもう1つ、私の父と母はクリスチャンです。

小さい頃、母から初めて習った讃美歌が今日歌った「主われを愛す」でした。

メロディはなく、歌うのではなく、1つ1つ歌詞の単語を手話で読んでいきます。

それから少し年月が経って、初めて教会学校に連れて行ってもらった時の賛美歌が「主われを愛す」でした。

この時の衝撃は今でも忘れられません。

知っているはずの賛美歌でしたが、メロディは知らなかったからです。

「主われを愛す」の賛美歌を聞いた時、とても感動したのを覚えています。

母から習った讃美歌に音はありませんでしたが、音はないのに滑らかに賛美する母の手から、なんとなくメロディが聴こえてくる感じがして、一緒に手話で歌っていたことを思い出します。

その後、教会学校に行くたびにクリスマスで歌う讃美歌や母から習ったメロディを知らない賛美歌のメロディを知っていくようになりました。

今日の讃美歌は先に歌詞を無音で「目」で知り、その後メロディを「耳」で知り、両方が重なったことで知りました。

父と母は耳で知るという事は出来ませんが、目と手で知っている賛美歌を私に教えてくれました。

母は去年の7月に亡くなりましたが、手話で讃美歌を歌うことを私に残してくれました。

両親共に耳が聞こえないという環境で育ったことは、小さい頃はとてもつらく感じましたが、今では手話というもう1つの言語を私にくれたこと、これは私にとって大きな賜物だと感じています。

私と賛美歌の出会いはこのようなきっかけでしたが、皆さんは朝の礼拝を通してみなさんは毎日新しい讃美歌を知り、新しい聖書箇所に出会っています。

ぜひ自分の好きな賛美歌を見つけてみてください。

ちょっと嫌なことがあって、朝からモヤモヤしていた気持ちも朝の礼拝で好きな讃美歌が流れてくると自然と晴れてきます。

朝の礼拝で賛美歌を聞くことで、歌うことで、気持ちを落ち着かせて1日を始めることができます。

今日も朝の礼拝の時間を大切に、そして礼拝の後、今日の1日の始まりから大切に過ごしていきましょう。

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