礼拝の話

2021/04/26 

4月26日(月) 聖書 マタイによる福音書 4章18~22節 校長 小西二巳夫

大澤正彦さんという若い研究者がいます。

「ドラえもんをつくること」を大人になっても本気で考えている人です。

彼の研究の話を聞いたり、書いた本を読んだりしていると、ドラえもんを本当に作れそうという気持ちになり、ドラえもんはすでにいる、とさえ思えてきます。

ドラえもんは22世紀からタイムマシンに乗って現代にやってきた猫型ロボットです。

何をしてもうまくいかない小学生ののび太をさまざまな秘密道具で手助けします。

ドラえもんが助けるためにやってきたのび太はすぐに人に頼り、泣き言をいう、失敗を学習しない小学生です。

周りの人たちからいいねと評価されることはまずありません。

一番の見方であってほしい母親や家族でさえ、ダメな子と考えています。

そんなのび太のところにドラえもんがやってきた理由は、一言で言うと「幸せになってほしい」からです。

ドラえもん自身も未来からきたロボットなのに、苦手なもの、弱いものがあり、優秀とはいえません。

のび太から頼まれる本当はダメなのに、ダメと言えずに引き受けてしまいます。

弱さをもった2人ですから、しょっちゅうケンカをします。

その2人を見かねてセワシ君が、ドラえもんよりもはるかに優秀なドラミちゃんとドラえもんを交代させようとしましたが、のび太はそれは絶対に嫌だと拒否します。

このことから分かるのは、のび太とドラえもんの間には、お互いの弱さを認めあい、大切にする心が育っていたことです。

ドラえもんにはいくつもの弱さがあり、優秀なロボットとはいえません。

ということは、大澤さんが作りたいドラえもんは、人の代わりになんでもできる完璧なロボットではないということです。

ドラえもんがのび太とケンカをするのは、ロボットとして優秀でないからですが、2人は人間とロボットというお互いの存在を超えて心を通い合わせ、2人を中心に周囲の人たちもほのぼのとした幸せ感を持つようになります。

大澤さんが作りたいのは、ドラえもんのように1人の人に寄り添い、助け合いながら成長していく仲間のようなロボットなのです。

今日の聖書には、イエスがペトロたちを弟子にする場面が書かれています。

弟子にしよう、とありますが、むしろ、仲間になろう、という感じです。

これから一緒にやっていく仲間に選ぶのだから、優秀な人たちかというとそんなことはありませんでした。

一番弟子のペトロはのび太と同じようにうまくいかないことが多くありました。

ここぞという時に、イエスを知らないといって裏切ってしまい、そんな自分が嫌でわんわん泣きます。

しかし、その情けないペトロを情けの厚いイエスは見放すことはしませんでした。

まぁそれもいいかと、最後まで信頼し寄り添うことをされたのです。

イエスは強さには強さで立ち向かいましたが、弱さには弱さで包み込み、応える方でした。

そのことがわかって自分を赦せるようになったペトロは、今度は自分が寄り添える人、信頼される人になっていきました。

もし自分にのび太やペトロと似ている部分があると感じる人、自分には弱さがあると思っている人は、そこに目に見えないイエス・キリストの働きかけがあると考えるだけで、目の前が拓けていくような気がするはずです。

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