礼拝の話

2023/04/24 

4月21日(金) 聖書 ルカによる福音書 9章46~48節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

7年ほど前に、滋賀県にある止揚学園の職員の方と交流する機会がありました。

止揚学園は知能に重い障がいのある方々を支援する施設です。

その時に一人の職員の方がこのようにおっしゃっていました。

「施設にいる障がいのある仲間たちが時折見せる表情がとても美しい。とても輝いている。本当に神さまが造られた存在だということが良く分かる。」

この一言は、私にとって忘れられないお言葉でした。

聖書は神が人間を造られたと記しています。

職員の方は、障がいのある方の存在に、神が造られたという輝きを見出していたのです。

さて、先ほど、読んでいただきました聖書の箇所の46節に「弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。」と記されてあります。

弟子たちの考えを見抜かれた主イエスは一人の子どもを手に取り、ご自身の側に立たせ、「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」と言われたのです。

イエスは、誰が一番偉いかと、少しでも上に立とうとする弟子たちに対して、全く正反対の価値観を示したのです。

人間の命の価値は、能力や生産性ではかれるものではありません。

神によって造られたということ自体にその大切さの根拠があります。

これがイエスの価値観、聖書の価値観です。

清和は、聖書の価値観を大切にしています。

今日、私たちに示されている聖書の価値観は、弱さにこそ人の存在意義があるということです。

イエスは弱さにある人々が粗末に扱われることを望まれません。

私たち一人ひとりはだれもが弱さを抱えています。

しかし、その弱さで人の価値は測れない。

私たちに弱さがあったとしても、「最も偉い」と主イエスは受け入れてくださっているのです。

また、私たちには誰も「力」が与えられています。

私たちは他人の競争のためにその力を用いるのではありません。

「最も小さい者、最も偉い者」が犠牲にならないように、その力を用いるべきだと思います。

今日も聖書の価値観に立ちながら、それぞれの価値に気付いていきたい。

弱者が軽んじられる今の社会に必ず光を当てることができるでしょう。

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