礼拝の話

2023/04/27 

4月24日(月) 聖書 ヨハネによる福音書 9章1~3節 校長 小西二巳夫

伊集院静氏という平和を真剣に考える作家がいます。

文学的才能にあふれた人で、ベストセラーを何冊も書いています。

私が伊集院静氏の作品で心惹かれるのは『少年譜』です。

少年譜には7つの物語が載せられています。

どれも小・中・高校生が大人になっていく道程が描かれ、人にはそれぞれたどる道に違いがあることがわかります。

実際、自分と自分の周りを見回しても、同じ中学生同じ高校生でありながら、それぞれ違いを持っていることがわかりますが、逆に共通したものもあるのです。

それは一人の人がおとなになるまでに必ず通る道程・プロセスがあることです。

伊集院静氏は『少年譜』の7つの物語によって、それが何かを教えてくれます。

1つは「痛み」の体験です。

もう1つ「悔やむ」ということ、悔しい思いをすること、そして最後は「耐える」で、自分だけが耐えているという思いを持つことです。

『少年譜』は本人が望む、望まないに関わらず、心の痛み、悔しい思い、自分だけが耐えることを必ず一度や二度、場合によっては何度も体験することになることを、教えてくれているのです。

そしてこのような感情を、思春期という大人になる前に体験することによって、人間らしい人間、そして本当のおとなになれると教えてくれているのです。

今日の聖書の場面で、弟子たちは「この人の目の不自由なのは、本人のせいですか、それとも両親が何か悪いことをしたからですか」とイエスに質問をしました。

この質問にイエスは「神の業がこの人に現れるためである」と答えました。

弟子たちや周りの人は、誰かが悪いから何かが悪いから、そうなったのだと考えていました。

イエスの答えは弟子たちや周りの人たちの思いを超えていたのです。

イエスは自分や自分の周りに起こること、そして世界に起こることの中に、なぜそれが起こるのかわからないことがあると言っているのです。

良いか悪いか、どちらかという考え方や価値観ではわからないことが、世の中にはたくさんあると言われたのです。

いくら考えても納得できないこと、理屈では説明できないことがあります。

それに加えて、起こってほしくなかったことも、もっと大きな見方をすれば、とても意味あるということが後になってわかるということもあるのです。

私たちが今日を懸命に生きること、立場や考えの違いを超えて、お互いに支え合うことの大切さにしっかり気づきたいと思います。

そして、自分が「神の業が現れるための大切な存在」であることにしっかり気づきながらの1週間にしたいと心から祈ります。

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