礼拝の話

2023/04/27 

4月25日(火) 聖書 フィリピの信徒への手紙 2章6~8節 社会科 山脇

私の家にはチャチャという犬がいます。

飼い主の自分が言うのも何ですが、近づいてくる人や他の犬に対して威嚇するということがほとんどなく、とても優しい犬です。

先日、高知新聞に「犬を飼うと幸せになる」と言われている、という出だしで始まるコラムがありました。

理由としては、触れ合うことでストレスが解消されるということ、もう一つは散歩をすることで健康的な習慣が身につくことが挙げられていました。

触れ合うことでストレスが解消する、気持ちが穏やかになる一例として、セラピードッグの話と、ある学校で保護された犬が、アイドル犬として生徒に可愛がられていた、という話が紹介されていました。

新聞で紹介されていたセラピードッグも、うちのチャチャも、多分そばにいる人たちを「癒してあげている」という意識はないのだろうなぁ、ということを思いました。

犬にとっては純粋な行動が、それを受け取る私やご近所さんにとっては、心が暖かくなる行動なのです。

今日読んだ聖書箇所には、パウロがフィリピの町の人に宛てた手紙の中で、イエス・キリストが十字架に架けられるまで従順でした、とありました。

イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとして十字架に架かられました。

しかし、それは「私が救ってやる」という態度ではなかったと聖書にはあります。

神の子として、ユダヤ人の王として、上から見下ろして「お前たちを救ってやる」という姿ではなく、むしろ私たちと同じ立場で、むしろ自分を無にして、私たちに仕える者として、十字架に架かられました。

私たちに向かって「救ってやる」という方ではなく、神に「彼らをお赦しください」と祈られたのがイエス・キリストです。

そこには、何の見返りも求めず、純粋に私たちの罪の赦しと救いを神に祈られたイエス・キリストの姿があります。

そのイエス・キリストによって、私たちの罪は赦され、心に安らぎが与えられているのです。

私たちの心に平安を与えてくれるイエス・キリストと、新聞で紹介されたセラピードックが重なるように感じます。

ただ寄り添ってくれる、ともに歩んでくれる、そのような存在がいかに大きなものなのかを感じます。

今日もイエス・キリストが、私たちに寄り添い、ともに歩み、その見えざる手で支えて下さっていることに感謝し、歩んでいきたいと思います。

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