礼拝の話

2023/05/10 

5月1日(月) 聖書 マルコによる福音書 14章32~36節 校長 小西二巳夫

知識を持たないで初めて礼拝に出席した人からよくきく感想があります。

教会の礼拝の中では何度も祈るのですね、という感想です。

祈りの種類は大きく分けると4つです。

1つはお願い、そして、ゆるしを求める祈り、感謝の祈り。

それからもう1つは神との対話です。

新約聖書の4つの福音書には日本語で「祈り、祈る」と訳された言葉がたくさん出てきます。

その中で一番少ないのが「お願い」のお祈り、そして、ダントツに多いのが神との対話です。

神との対話の目的は神が私に何を求められているのか知ることです。

自分がどのような生き方をしたらいいのかを考えることです。

進路選択、進路決定をする際に相談するのが家族、担任の先生進路指導の先生です。

相談の時に必ず聞かれるのが、あなたは何がしたいの、どうしたいのとの気持ちです。

自分が何をしたいのかを一人で考える時に心の中に声が聞こえてきて、自問自答します。

残念ながら自問自答ではほとんど答えが出てきません。

その時に自問自答ではなく、神との対話をする、つまり神に祈ることによって、道が拓かれる、何らかの答え、そうだと思える何かが出てくるのです。

祈りは対話ですが、同時に祈りは力です。

祈りが自分を支え、道を開いてくれる力だとしたら、祈らないわけにはいきません。

今日の聖書の箇所でイエスは「アッバ、父よ」と祈りました。

これは、「おとうちゃん」のような親しみを込めた呼びかけです。

イエスは神に親しみを込めて話すようにと言われているのです。

ということは、神に祈る時には肩の力をぬいて祈ってよいということです。

私たちは誰かと話をしたい時、まず相手にこちら向いてもらうようを呼びます。

同じように神と対話する時も、まず神に呼びかけます。

「愛する神さま、恵みの神さま」シンプルに「神さま」でもOKです。

お祈りは最後に必ず結びのフレーズを付けます。

「主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。」

イエスの名前を出すのはイエスに全部を包んでもらって神にささげてもらうためです。

私たちの祈りが絶対いい祈りとは限りません

ひょっとしたら悪い祈りになっているかもしれません。

キリスト教はたとえ身勝手なお祈りをしても、イエスが私と神さまとの間に入って、その祈りを良いものにして神に届けてもらえると考えているのです。

そのための大事な約束があります。

それは「アーメン」です。

キリスト教の祈りでは最後にかならず「アーメン」といいます。

日本語にすると「その通りです」です。

アーメンにはさらに重要な役目があります。

アーメンという言葉でもって、イエスに「そこんとこよろしく」とお願いするのです。

そこでもし「アーメン」が小さな声やほとんど聞こえない声では、それはたとえどんな立派なお祈りであっても、どんなに真剣なお祈りであっても、神には届きません。

それこそもったいないです。

アーメンと大きな声で言うことによって、その祈りがイエスによってふさわしい形に整えられて、神に届けられるのです。

それがアーメンの力です。

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