礼拝の話

2023/05/16 

5月15日(月) 聖書 マルコによる福音書 16章1~8節 校長 小西二巳夫

「千の風になって」という20年以上前に大ヒットした曲があります。

「千の風になって」がヒットした20年前、私は新潟の学校にいました。

通っていた新潟教会の近くに「器(うつわ)」という名前の喫茶店がありました。

喫茶店の「器」は「千の風になって」がはじめて歌われた場所です。

「千の風になって」は新潟出身の芥川賞作家である新井満が作った曲です。

ある方の追悼文集に12行の英語の詩を日本語に訳したものが紹介されていました。

新井さんはその詩に興味が湧いて英語を自分で日本語に訳そうと考えました。

出てくる単語、文章は難しくないので、新井さんはすぐに訳せると考えました。

ところがなかなかうまくいかないのです。

悩んだ新井さんはその詩を大きな声で何度も読んでみました。

すると、ふっと目に浮かんで見えてきたもの、聴こえてきたものがあったのです。

風が吹いている様が目に浮かび、風の音が吹く音が聴こえてきたのです。

新井さんはこの詩のキーワードが「風」だと気づいたのです。

風をキーワードに訳し、そしてメロディを付けて出来たのが「千の風になって」です。

新井さんは日本語に訳している最中に不思議な気持ちになったそうです。

というのはこの詩は死んだ人の側から書かれているものだからです。

死んだ人が残された遺族を慰めているのです。

ふつうは生きている人がいろんな事情で亡くなった人を慰めるはずなのにと、不思議な感じがしたのです。

ところがキリスト教ではこれは別に不思議な感覚ではありません。

それがよくわかるのが今日の聖書の箇所の話、復活したイエスに再び会えるという話です。

これはこの女性たちや弟子たちが一番願っていることだったのです。

「千の風になっての」主人公である死んだ人がお墓の中にいなくて、風になって残された人を慰める、その慰めに、生きている人たちが励まされる、生きる力をもらうのと同じ感覚です。

「千の風になって」のキーワード風はキリスト教でも特別な意味を持っています。

キリスト教は風や息を、神の存在と愛を表すものだと考えているからです。

風は目には見えませんが、確かにあります。

「見えないけれど、確かにいる」その見えない神の働きをキリスト教は聖霊と呼んでいます。

キリスト教は十字架の死から復活したイエス・キリストが、聖霊という目に見えない形で私たち一人ひとりを助けてくれる、守ってくれると考えてきました。

2023年度の学校生活が始って1か月半が経ちました

毎日の生活の中で、思い通りにならないことがいくつもあるはずです。

不安や不満もあります。

その時に思い浮かべたいのが、イエスという存在です。

ぜひイエスに祈りましょう。

イエスに助けを求めましょう。

その人の祈りと助けに、イエスは最もふさわしい形で応えて下さることを、この2000年の間、多くの人が実感してきました。

私たちもまた自分もその恵みにあずかることのできる一人ひとりなのです。

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