礼拝の話

2023/05/19 

5月16日(火) 聖書 コヘレトの言葉 11章1節 音楽科 三浦

わたしの一番好きなジブリ作品は、「風の谷のナウシカ」です。

わたしが久々にこの作品について思い出したのは、先週、お休みをいただいて、母に会いに行っていたことがあります。

この数日を母のことで過ごす中で思い出したのが、この「風の谷のナウシカ」でした。

しかも、ナウシカを思ったのではなく、ナウシカを諭した賢者、「ユパ・ミラルダ」通称「ユパさま」や老人として描かれている登場人物たちのことでした。

年を重ねるということは、中高生にとっては、可能性が広がる、自分の興味関心が広がる、できることが増える、これからを生きていく知恵を身に付けていく、ということです。

わたしや母の世代になると、これから年を重ねるということは、老化が進む、老いていく、ということでもあります。

そう思うと、年は取りたくない、年寄りは必要ない、という考えも浮かんできそうですが、「生き字引」という言葉もあります。

その人に聞きさえすればすべてわかる、というように、広くよく物事を知っている人のことを指します。

わたしたちは日々、多くのことを学びますが、今すぐに使える、ということや、これを学んで何の役に立つのだろうと不思議に思うこともあるでしょう。

わたしたちの人生で、何が、いつ、どう生かされるかはわかりません。

でも、生かすためには、自分の中に、その材料を持っていなければなりません。

ナウシカはその物語の中で、腐海の底から土を持ち帰り、一人孤独に、腐海の生まれた意味やそこで虫たちが生きる意味を考え続けていました。

その答えに行きついた場面が、今朝の聖書の箇所に重なるように思います。

腐海の底の砂を持ち帰り、そこで植物を育ててみるという、途方もないこと、何の役に立つのかわからないことをナウシカは一人続けていました。

何か結果がこうなるとわかって始めたことではないのです。

どうなるかわからないからこそ、ていねいにそのことに向き合うことで、ナウシカは腐海の謎の核心に近づいていくことになりました。

わたしたちは、わたしたち一人ひとりの土、土壌を大切に耕し、育てているところです。

物語の主人公のような劇的な人生はなかなかありません。

でも、一人熱心に向き合っていたナウシカのように、わたしたち一人ひとりも、自分自身に、そしてわたしたち自身にしっかりと向き合う人生を歩みたいと思います。

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