礼拝の話

2022/05/16 

5月16日(月) 聖書 コロサイの信徒への手紙 1章16~17節 校長 小西二巳夫

1600年代にマリア・ジビーラ・メーリアンというドイツ人女性がいました。

彼女は小さい時から昆虫が大好きでした。

いくら見ていても飽きなかったのです。

昆虫はどんどん姿を変えていきます。

見た目も動きも気持ちが悪いゴソゴソと動くイモムシがサナギになり、やがて鮮やかなチョウになります。

それを英語で言うとメタモルフォーゼ、日本語では変身、変態といいます

マリア・ジビーラは13歳のころから、昆虫が次々に変身していくのをじっと観察して、それをていねいに写生するのが大好きでした。

そうすればするほど、マリア・ジビーラは虫が好きになっていきました。

マリア・ジビーラのことを書いた本のタイトルは「蟲愛ずる人」です。

愛ずるというのは、パッと見て好きか嫌いかを決める、それではありません。

じっと見る、ていねいに見ることです。

蟲だけでなくさまざまな生き物をじっくり見ようとすると、パッと見ただけの時には見えなかったものが次々に見えてくるのです。

たとえば、虫のたくさんの足を見て気持ち悪いとしか思えなかったものが、じっくりみることで、それぞれの足には違う役目があることがわかると、そこに感動の気持ちさえ湧いてきたりするのです。

パッとではなく、時間をかけて見ることによって、昆虫に限らず、人も含めた命あるもののすべての、それぞれの存在がいかに素晴らしいかがわかってくるのです。

今の私たちに欠けているのは、そういう、じっくり見る見方です。

今はパッと口にする「かわいい」「カッコいい」という愛はあふれています。

そこに問題があるのは、パッと見て決めつける見方が、虫だけにとどまらず、他の人見る時の見方になるからです。

それだけでなく、自分自身さえも、パッと見る見方で見ることになるからです。

そうすると、たいてい自分がつまらない人間、ダメな人間に見えてくるのです。

それでは、一日一日が楽しくもなければ幸せにはなれません。

その私たちを、なお、蟲愛ずる見方で見てくれるのが聖書に出てくるイエスです。

イエスは、当時の社会の中で他の人からも、そして自分もパッと見て、ダメ出しをしていた人々を「愛ずる」という見方で受けとめられたのです。

それによって、多くの人が自分には生きる意味があることを知ったのです。

生きる力を取り戻したのです。

そこで気づかされるのはイエスの「蟲愛ずるまなざし」が今の私たち一人ひとりにも注がれていることです。

イエスが、私たちに願っていること、それは私たちが「蟲愛ずる」まなざしをもつことです。

蟲愛ずるまなざしで、自分自身を見ること、他の人を見ること、そして世界を見ることです。

ウクライナに対して、沖縄に対して「蟲愛ずる人」になることです。

イエスの願いにしっかり応えられる1週間にしていきたいものです。

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