清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2023/06/06
今朝の聖書の箇所にはマルタとマリアという姉妹が出てきました。
イエス様と12人の弟子たちは、この姉妹の家を訪れました。
この家にとっては、大勢のお客様です。
手足を洗う水の用意から、食べ物飲み物の用意、夜はどこでどのように休んでいただくのかも考えなくてはなりません。
マルタは、これらのもてなしのいろいろなことを一生懸命考えて働いていました。
ところが気が付くと、働いているのは自分だけ。
妹のマリアはと言うと、何とイエスさまのお側に座って、話を聞いているではありませんか。
マルタは、カチンと来ました。
そこで「マリア、こちらに来て手伝いなさい」と言うのかと思ったらそうではありませんでした。
マリアに話をされているイエスさまに言いあげました。
マルタは、自分だけがもてなしをしていることが不満です。
マルタは「自分一人が大変な思いをして、マリアは楽をしているではないか、イエスさまには私の苦労を知って、私の味方をしてマリアに注意してほしい」と思っていました。
ところが、マルタの言葉を聞いたイエスさまは、マルタに言います。
「マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」
マルタは、考えること、することがたくさんあって、悩んでいました。
だから、心が乱れて、不満でいっぱいになっていました。
イエスさまは「必要なことは一つだけである。マリアは、良い方を選んだ」と言われました。
イエスさまは、マルタの思いに同情するどころか「マリアは良い方を選んだ」と言われます。
なぜでしょうか。
マリアのように、イエスさまのお話を聞く方が良いことで、おもてなしをすることはよくないことだと言われたのでしょうか。
確かにイエスさまのお話を聞くことは良いことです。
でも、イエスさまは、まず「必要なことは一つだけ」と言われました。
マリアは今、イエスさまのお話を本当に聞きたいと思っていました。
おもてなしの数々があることもマリアは当然知っていましたが、マリアが今一番にしたかったことは、イエスさまのお話を聞くことでした。
それでは、マルタが本当にしたかったことは何だったのでしょうか。
本当にしたかったことが、おもてなしだったなら、マルタの心は乱れなかったはずです。
大好きなイエスさまのために、おもてなしをしたくてしていたならば、心は乱れません。
他の人が手伝ってくれなくてもイエスさまのために喜んでおもてなしをしていたはずです。
「必要なことは一つ」です。
自分が今、本当にすべきこと、したいことは何なのか、人と比べてではなく、自分の心によく聞いて、本当に大切だと思うことに集中したいと思います。
もしかして、マルタは、やっぱり忙しくて大変だけど、おもてなしがしたいと言うかもしれないですね。