礼拝の話

2022/06/03 

6月1日(水) 聖書 創世記 3章8~10節 社会科 堀内

倫理という科目は「人のいきる道は何か」ということを考える学問です。

答えのない答えを探求する学問なのだと思います。

ソクラテスという人が「人間にとって大事なのは、たんに生きるのではなく『よく生きること』だ」と言っていますが、ただ生きているだけではなくよく生きるというのはどういうことだろうかと考えます。

今日の聖書箇所はエデンの園でアダムとエバが神さまから食べてはいけない、と言われていた善悪の知識の木の実を食べてしまった直後の場面です。

エデンの園で神さまの声を聞いたアダムとエバは、神さまに見つかるのが怖くて木の間に隠れました。

隠れたのは、自分にやましさ、神さまとの約束をやぶったという負い目があるからです。

隠れたアダムに対して神さまが語り掛けた言葉は「あなたはどこにいるのか」でした。

「食べたのか」という𠮟責の言葉ではなく「どこにいるのか」という問いでした。

当然、神さまは善悪の知識の木の実を食べたことはわかっているはずです。

でもあえて、隠れたアダムに対して「あなたはどこにいるのか」と問いました。

神さまの「あなたはどこにいるのか」という問いは私たちにも問いかけられている問いなのかな、と思いました。

主よ、ここにいます、と言えない自分にやはり、神さまの助けが必要です。

だからこそ、この後、神さまはアダムたちに皮の衣を与えてくれました。

神さまからの助けをもらいながら今日の歩みも「あなたはどこにいるのか」という問いかけに「神さま、今日も一日助けをいただきながら歩ませてください」と祈りつつ応えていく、そのような歩みでありたいと思います。

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