礼拝の話

2023/06/16 

6月15日(水) 聖書 箴言 14章8節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

サッカー日本代表の「三笘薫」選手について、解説者の多くが、彼のプレーを「クレバーだ」と口にします。

cleverは英語で「賢い、利口、ずる賢い」という意味を持ち、サッカー界においては「器用なプレーをする」、「立ち回りが巧みである」という意味として使われているようです。

今朝の聖書の御言葉は「思慮深い人は自分の知恵によって道を見分ける」です。

これは、聖書の書物の一つである「箴言」という格言集の中のひとつの言葉です。

英語の聖書は多くの翻訳があるのですが、ある聖書は「思慮深い」を「クレバー」と訳しています。

「自分の知恵」と言われているということは、単純にクレバーで頭の良い人が、人生上手くやっていける、と言っているところなのでしょうか。

そうなると、急に自信がなくなってしまいますが、この格言が収められている「箴言」という書物全体を見ることが大事だと思います。

箴言は書物の初めの方に「主を畏れることは知恵の初め」と出てきます。

箴言が語る「自分の知恵」とは主、つまり神さまを畏れることによって始まるというわけです。

英語で「賢さ」を表わす言葉は他にも「intelligent」、「smart」、「wise」などがあります。

この中で「wise」という言葉は辞書で「思慮深い、分別がある」と出てきます。

もう少し調べましたら「経験や知識が豊富であり、物事を正しく判断することができる」と出てきました。

本当に知恵のある人、経験が豊富で知識がある人は、しばしば謙遜です。

それは自分の知恵や知識が、取るに足らないものであることをよく知っているからです。

神を畏れる時、人間は必然的に謙遜になります。

しかし、それこそが本当の知恵ある歩みの始まりとなるのです。

私たちは時に「クレバー」な判断が求められることがあるのかもしれません。

そして、それは時に経験も必要です。

クレバーでありつつも、ワイズな判断と言えるでしょうか。

この世の中を生きていく知恵は、神を畏れる時にもたらされる。

それが聖書の勧めです。

私たちは授業の前にこのチャペル礼拝でひと時、神さまの前に静まっています。

一日を始める上で大切な時間です。

へりくだりつつ、今日も私たちに必要な知恵を得る一日にしたいと思います。

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