礼拝の話

2023/06/28 

6月20日(火) 聖書 創世記 22章1~2節 社会科 山脇

私の家族はテレビを良く見る方だと思います。

現在、放送されている番組で、欠かさず見ているものがいくつかあります。

その一つに大河ドラマ「どうする家康」があります。

主人公は江戸幕府を開いた徳川家康です。

5月14日の第18回目の放送では「三方ヶ原の戦い」が描かれました。

「三方ヶ原の戦い」は、徳川家康にとって三大危機と呼ばれるものの1つに挙げられます。

この戦いに敗れた家康は、戦いの直後に絵師を呼び、戦に負けた自分の姿を描かせました。

徳川家康と言うと、どちらかといえばぽっちゃりしたイメージがありますが、この時、絵師に描かせた家康の姿は、鬼の形相で正面を睨みつけています。

家康がどれほど悔しかったのかが分かる肖像画です。

ドラマでは「どうする」と悩んだすえ、家康は様々な決断をしていきます。

その決断がすべてうまくいったわけではなく、失敗も多かったことがドラマを見て分かります。

家康の性格が「鳴かぬなら鳴くまで待とう」と詠まれたのは、多くの失敗を繰り返しながらも耐え続けた所にあるのだと改めて思いました。

歴史に名を遺す家康ほどではないにせよ、私たちも色んな「どうする?」を自分に問いかけながら毎日の歩みを送っています。

今日、読んでもらった聖書箇所では、神がアブラハムを試される場面が描かれています。

アブラハムの信仰を試された、と聖書には書いていますが、それはアブラハムにとっては耳を疑うような命令でした。

子どもが生まれなかったアブラハムとサラの間に、子どもイサクを与えられたのは神です。

しかしその神が、今度はイサクを焼き尽くす献げ物にしなさいと言うのです。

妻サラとの間にやっと出来た子どもイサクを、焼く尽くす献げ物としてささげなさい、というのですから、アブラハムにとっては最大の決断を迫られたといっても良いでしょう。

アブラハムにとって最大の「どうする?」という状況の中、それでもアブラハムは「焼き尽くす献げ物の子羊はきっと神が備えてくださる」と言って、神への信頼をあらわしました。

アブラハムは「どうする?」と必死に悩み、最後は主なる神を信頼して、イサクを神にささげようとしたのです。

その姿を見て、神はアブラハムに呼びかけ、「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。」と言われました。

神はイサクの代わりに焼き尽くす献げ物として子羊を用意されていました。

アブラハムも徳川家康同様、絶えず「どうする?」という選択を迫られた人物です。

産まれた町を離れて私の示す場所に行きなさい、と神に命じられて以降、「どうする?」の連続でありながらも、アブラハムは神の導きを信じて歩んだ人と言えます。

その中で数々の失敗を繰り返したアブラハムですが、それでも神は彼を見捨てることはありませんでした。

私たちも色んな「どうする?」という問いを繰り返し、時には失敗をしながらも毎日の生活を送っています。

その「どうする?」と悩んでしまう時にも、神は目には見えない方法で私たちの歩みを支えてくださっていることが、聖書を通して分かります。

その神の示す道は、私たちにとって都合の良いことばかりではありません。

時には厳しい試練と思われる道をも神は示されるからです。

神の計画を知ることは私たちにはできませんが、それでも私たちの「どうする?」という悩みに、神は一番良い形を示してくださることを心に留めたいと思います。

今日も小さな「どうする?」という問いかけを繰り返しながら、神の示される道があることに感謝して歩んでいきたいと思います。

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