清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2023/07/04
イエスさまには、12人のお弟子さんがいました。
お弟子さんですから、イエスさまのお考えをよく知っていて、さぞ立派な人たちだろうと思うかもしれませんが、実はそうではありませんでした。
イエスさまのお考えと違う考え方をしては、イエスさまからその間違いを教えてもらう、いわば、私たちの失敗を代表して見せてくれるような人たちでした。
この日も、お弟子さんたちは「自分たちのうちでだれがいちばん偉いか」を話し合っていました。
イエスさまは、一人の子どもをご自分の側に立たせて「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」言われました。
なぜイエスさまは、最も小さい者が最も偉いと言われるのでしょうか。
何もしない、努力しない、できないことが良いことだと言っておられるのでしょうか。
そうではないようです。
「この子どもをあなたは受け入れるか。あなたは、小さい子どもだからと言って、この子を軽く見るのか。私はこの子を愛し受け入れている。私が愛し受け入れているこの子をあなたは愛し受け入れないのか」と問うておられます。
今、NHKの朝ドラ「らんまん」で、高知県出身の植物学者、牧野富太郎の生涯が取り上げられています。
牧野富太郎は、「雑草という草はない」と言います。
「自分たちが名前を知らないだけで、どの草にも名前がある。」
そう言って、小さな草花を観察し、名もない草花を見つけては名前を付けて行きました。
富太郎にとっては、ただの雑草は一つもなく、それぞれに名前をもって生きている、生かされている、たくましく美しい草花たちでした。
私たち人間も同じです。
ある人は、バラのような人が美しいと思うかもしれませんし、野に咲く小さな名もない花にも美しさがあり、それぞれに違う美しさがあります。
そのように私たちは、みんな違っているけれどもイエスさまは、その小さな一人を愛し受け入れておられます。
大切に思ってくださっています。
だれもが、それぞれに、イエスさまに認められ、受け入れられている存在です。
何かが出来るから偉いということではなく、最も小さい者であっても、その存在自体がそのままで偉いということです。
私たちは、だれもが、イエスさまに大切に思っていただいている小さな偉い一人です。