礼拝の話

2023/07/04 

6月24日(土) 学園祭 聖書 フィリピの信徒への手紙 4章8~9節 校長 小西二巳夫

今日もいつもと同じように礼拝から始めます。

今日は特に祈ることから始めたいと思います。

何を祈るか、それは学園祭が初めから終わりまで神が守ってくれることです。

今日の学園祭を行うために、これまで使った時間とエネルギーは相当のものです。

清和が学園祭を行う目的は一つ、「素敵な人」になってもらうためです。

「素敵な人」と言うのは、薄っぺらな感じではなく、何かしら中身がギュッと詰まっている人のことです。

聖書が書かれた目的は人が美しくなるため、素敵な人になるためです。

ですから、キリスト教による人間教育を行う清和が学園祭を通して素敵な人になってほしいと願うのは当然です。

清和が学園祭で大切にしているのは過程・プロセスです。

自分たちで考え作り上げていく中で、ふだんの授業では時間的制約などがあってなかなかできない学びを、学園祭という行事は可能にしてくれます。

学園祭はそれぞれの教科での学びを総合的な知恵と行動にして形にしていく時間です。

そういう意味で自由度が大きく、それを楽しいと感じる人が多いのです。

だからといってすべてが自由、無制約ということではありません。

むしろ学園祭に取り組む中で、ふだんよりはるかに強い制約を感じたり、ルールを守ることを意識させられたり、不自由さと不便さを感じることが多かったはずです。

守らなければならないルールが多くあり、緊張を強いられたはずです。

実はそこが大事なのです。

というのは、人は不自由さの中で、制約された中で、限られた時間の中で、精一杯考え、体を動かし、そして自分のためだけでなく、他の人のために一生懸命になる、それらを通して素敵な人になることができるのです。

学園祭の準備の中で、感じたことの1つに、もっと時間があったら、もっと広い場所があったら、もっと費用があったら、などがあったはずです。

焦りを感じながら取り組んだ、そういう瞬間もあったはずです。

思わず大きな声を出したり、声を荒げることもあったはずです。

逆に、その様子を見ていて、自分が手伝うしかないと加わった人もいたはずです。

学園祭の当事者はそういう自分たちの様子や姿を客観的に見ることはできません。

しかし、毎日そばで見てきた教職員からすれば、そしてわが子を毎日学校に送り出す保護者からすれば、実にうらやましく見えるのです。

輝いて見えるのです。

素敵な時間を過ごしているように見えるのです。

恵まれた時間を今過ごしていることをしっかり自覚したいものです。

同時に、こうした時間を過ごせるのが、歴史と様々な矛盾を抱えつつも、私たちの社会が平和を維持できているからだということを忘れないことです。

支えてくださった人たちに、そして何よりふさわしい時と場所を与えてくださった神に感謝しましょう。

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