礼拝の話

2022/06/03 

6月3日(金) 聖書 テモテの手紙 1章1~2節 理科 岡村

アニメ『ドラえもん』を私も小さいころからよく見ています。

ドラえもんでは、のび太くんがドラえもんにお願いごとをよくします。

もしも、それが叶ったら、自分が楽しい生活ができると思っています。

私にもドラえもんがいてくれたらなと思うことがありました。

インターネットでも検索をすると、ドラえもんの秘密道具ランキングが載っています。

人気な秘密道具は、やはり「どこでもドア」、「もしもボックス」、そして「人生やり直し器」です。

いくつになっても、いろいろな人が、もしもドラえもんがいてくれたらと考えるのです。

このもしもという言葉は、私たちもよく使います。

英語では、「if」といいます。

中学校3年生で学ぶ仮定法という文法です。

もしも100万円宝くじで当選したら、もしも、明日が休みだったら…。

もしもという言葉で夢が広がり、いろいろな人の幸せにつながる気がします。

一方、もしもという言葉は悲しくもなります。

もしも、あの時あんな言い方をしなかったら。

もしも、あの時勉強していれば。

もしも、戦争が起こらなければ。

もしもから愚痴や後悔が思い出されることも多いです。

このもしもという言葉は、過去の辛いことを考えるのか、未来のワクワクしたことを考えるのか、考え方ひとつで全く違うものになっていきます。

私もいろいろと悩む中で、このもしも、という考え方を未来に向けて行動するのか、過去に囚われ行動するのかによって、毎日の生活は全く違うものになるのだと気が付きました。

もしも、あんなことがなければ、私は今全然違う人間になれていたのに、とただ過去を消したいという思いにとどまるならば、それはそのまま現実を否定するもの、さらには自分の存在を否定することになってしまいます。

今日の聖書箇所には、パウロについて短い言葉で語っています。

「私たちの救い主である神と私たちの希望であるイエス・キリストに任命され、キリストイエスの使徒となったパウロから」と書いてあります。

パウロは、周りにもそして自分も忘れられないようなひどいことをかつて大勢の人にしてしまいました。

やがてそれに気づきます。

後悔のあまり絶望的になっても仕方なかったはずです。

しかしパウロは消し去りたかったに違いない自分のもしもを、未来に向けて、それからの人生を考える力に変えて生き抜きました。

それができたのは、彼がイエス・キリストそのものを希望とできると気が付いたからです。

イエスキリストを人生の希望にすることで、過去にとらわれず未来に向かう「もしも」に希望をもち、今をどう過ごすか考えたのです。

生きていると「もしも」と考えることがたくさんあります。

学校ではなおさらです。

でもこの「もしも」と考えることをパウロのように未来を見すえて、今を一生懸命に過ごせたらと思います。

この清和で私も、パウロのように今できることに1つずつ丁寧に歩んでいきたいと思います。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ