礼拝の話

2022/06/10 

6月6日(月) 聖書 ヨハネによる福音書 3章7~8節 校長 小西二巳夫

1950年代から60年代にかけてアメリカの「公民権運動」というのがありました。

その当時、アメリカでは黒人などのマイノリティ(少数者)の基本的人権は保障されていませんでした。

仕事、賃金、学ぶ機会など、さまざまな差別をなくすための活動が公民権運動でした。その公民権運動のためにボブ・ディランが作った曲が『Blowin’ in The Wind(風に吹かれて)』です。

それから60年近くたちましたが、今も世界中で歌われています。ボブ・ディランの作った曲の歌詞が、詩として評価されノーベル賞を受賞しました。

詩と言うのは、短い言葉に、そしてひとつの単語に様々な意味を持たせます。ということは、詩を読む側に、その詩を理解する知識や感性が求められます。「風に吹かれて」の最初のフレーズはこうです。

How many roads must a man walk down Before you call him a man?

この曲は公民権運動の中で作られました。そうすると、

「どれだけ辛抱すれば、人として生きる権利を取り戻すことができるのだろうか」

となります。

それから戦争に関する次のフレーズがあります

How many times must the cannon balls fly Before they’re forever banned?

その当時、アメリカはベトナムに軍隊を送り戦争していました。そうすると、

「どれだけ砲弾が飛び交ったら、戦争・戦いは終わるのだろうか」

と訳せます。ボブ・ディランはこうした人間の愚かな考えや行動が、どうすればなくなるのか、どうすれば終わるのかを、最後のフレーズで書いています。

The answer, my friend, is blowin’ in the wind The answer is blowin’ in the wind

「友よ 答えは吹いている風の中にある、答えは吹く風の中にある」

となります。そこから曲のタイトルが『風に吹かれて』となったわけです。答えは風の中にあると言われると、何か無責任な感じになります。けれど、ボブ・ディランはそのようなあいまいなことを言っていません。カギになる言葉は「wind=風」です。

今日の聖書にも「風」という言葉が出てきます。新約聖書はギリシャ語で書かれています。

ギリシャ語の風はプニュマといい、これには聖霊という意味があります。聖霊というのは、神の存在を表す言葉、具体的な働き方を表す言葉です。「風」を目で確かめることはできません。けれど風が吹くと、風というものが存在していることがわかります。

同じように神という存在は見えないけれど、確かに存在しているということです。『風に吹かれて』の元々のメロディーは1800年代に作られた黒人の賛美歌です。その賛美歌をベースに、ボブ・ディラン自分の詩を載せたのです。

ということは、

「差別がなくなるのも、戦争が終わるのも神だけが知っている」

という意味になります。

そこで考えたいのは、答えは神だけが知っているという言葉の意味です。

今日の聖書でイエスが語るのは、『風に吹かれて』でボブ・ディランが呼びかけるのは、私たちにわかること、できることにしっかり取り組もうということです。私たちがわかっていること、それは神が何より平和を望んでいることです。そして、私たちが平和をつくり出す一人ひとりになることです。その神の求めにしっかり応えることです。

今月25日に学園祭を行います。

国連サミットで採択された「17の目標と169の取り組み」についてそれぞれの学年クラスで取り組むことになります。

それに誠実に取り組むことが、神の求め、願いに応えることになる、そのことにしっかり気づきたいと思います。

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